村田春門
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村田 春門(むらた はるかど、1765年3月31日(明和2年2月11日)- 1836年12月31日(天保7年11月24日))は、江戸時代後期に活躍した国学者、歌人である。本姓は宮崎、号は田鶴舎(多豆能屋とも)等。幼名は並樹。
経歴・人物
[編集]伊勢の白子(現在の三重県鈴鹿市)の生まれ。村田橋彦の養子となり、初め江戸幕府幕臣の小笠原氏に仕えた。後に一柳に改姓し本居宣長の門人となり、大坂に移って家塾を開き、古典や詠歌等を多くの門人に伝授した。
これによって、同郷の板倉茂樹、一見直樹と共に「白子の三樹」と呼ばれ、一躍有名となった。門人の一人に、後に天保の改革を執行した水野忠邦がいる。
主な著作物
[編集]- 『源氏新抄』
- 『新俳諧文集』
- 『多豆毛衣』