李高宗
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高宗 李龍𣉙 | |
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李朝 | |
第7代皇帝 | |
国号 | 大越 |
王朝 | 李朝 |
在位期間 | 1175年8月14日 - 1210年11月15日 |
都城 | 昇龍(タンロン、現ハノイ) |
姓・諱 | 李龍𣉙 |
廟号 | 高宗 |
生年 |
政隆宝応11年5月25日 (1173年7月6日) |
没年 |
治平龍応6年10月28日 (1210年11月15日) |
父 | 英宗 |
母 | 霊道皇后杜瑞珠 |
后妃 | 安全皇后譚氏 |
元号 |
貞符 : 1176年 - 1186年 天資嘉瑞 : 1186年 - 1202年 天嘉宝祐 : 1202年 - 1205年 治平龍応 : 1205年 - 1210年 |
李高宗(りこうそう、越:Lý Cao Tông、在位:1175年 - 1210年)は、李朝の第7代皇帝。諱は龍𣉙(ロンカン、越:Long Cán)。第6代皇帝英宗の子。
経歴
[編集]天感至宝2年(1175年)、英宗が没したため、後を継いで即位した。李朝は高宗以前からすでに衰退を見せていたが、この高宗は臣民に対して重税を強いるばかりか、賦役までかけて臣民をさらに苦しめ、人心を完全に李朝から離反させてしまったのである。しかも、悪いときに悪いことは続くもので、この高宗の治世には天災も相次ぎ、それらの経緯による農民反乱が多発したのである。
治平龍応5年(1209年)には首都においても内乱が起こり、高宗は一時的に都を追われるという有様であった。暗愚な高宗が即位し、その治世が長きにわたったことは、李朝の衰退を決定的なものとしたのである。
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