李遺
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李 遺(または李蔚、り えい[1]、生没年不詳)は、中国三国時代の人物。父は李恢で従兄弟に李球。
民間伝承
[編集]以下、民間伝承による。
荊州で関羽が敗れると、関銀屏(関三小姐)は復讐を誓い、関索・関樾・関平の妻(趙雲の娘)らとともに成都まで落ち延びた。その後、諸葛亮は南征の際に建寧郡兪元県(現在の雲南省玉渓市澄江市)出身である李恢を起用し、諸葛亮自ら仲人となって関銀屏を李蔚に嫁がせた。
正史『三国志』・小説『三国志演義』には、民間伝承にあるような記述は一切ない。
史跡・旧跡
[編集]漢興亭侯李恢の子、李蔚(李遺)と漢寿亭侯関羽の娘(関銀屏、または関三小姐)の合葬墓が玉渓市に現存している。宣統2年(1910年)の墓碑には「漢忠臣興亭侯子李蔚、寿亭侯女関氏三姐之墓」と刻まれ、墓碑脇の墓聯には「墓近聖人宮、父女相睽祗數武」、「神游荊襄界、魂魄長恨於千秋」と刻まれている。
1989年に修復され、2001年に玉渓市の史跡に登録された。
脚注
[編集]- ^ 遺の古音は儀(yi、い)と蔚(wei、えい)。ここでは「蔚(wei、えい)」に倣う。
参考文献
[編集]- 『三国志外伝 民間説話にみる素顔の英雄たち』(立間祥介・岡崎由美訳)、徳間書店、1990年8月 ISBN 978-4-19-224331-5