李忱
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李忱 | |
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各種表記 | |
漢字・チュノム: | 李忱 |
北部発音: | リ・タム |
李 忱(リ・タム、ベトナム語:Lý Thầm / 李忱、天資嘉瑞17年(1202年)8月 - 没年不詳)は、李朝大越の皇族。
生涯
[編集]第7代皇帝高宗の次男として生まれる[1]。李忱の誕生を機に、元号が天嘉宝祐と改められた。
治平龍応4年(1208年)に知乂安州軍事の范猷が反乱を起こすと、高宗は上品奉御の范秉彝に討伐を命じた[1][2]。しかし、治平龍応5年(1209年)に贈賄した[2]范猷の讒言を容れた高宗は范秉彝とその子の范輔を捕縛した[1]。これを聞いた范秉彝の部将の郭卜が兵を引き連れて宮中に乱入[3]し、李忱を皇帝に擁立した[1]。郭卜に擁立された李忱は、譚以蒙や阮正頼らに役職を授けた[1]。高宗は帰化江(現在のフート省)、皇太子の李旵(李忱の弟)は海邑にそれぞれ逃亡した[1][2]。
李旵が逃亡先で妃とした[1]陳氏容の父の陳李・兄の陳嗣慶によって郭卜の反乱は鎮圧され[1]、高宗と李旵は都の昇龍に戻った[2]が、李忱のその後は不明である。