杉浦守 (野球)
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 愛知県豊明市 |
生年月日 | 1967年6月27日(57歳) |
身長 体重 |
180 cm 83 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1985年 ドラフト6位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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杉浦 守(すぎうら まもる、1967年6月27日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手(外野手)。
読売巨人軍で松井秀喜の前に背番号55を背負っていた日本人選手である[1]。
来歴・人物
[編集]愛知工業大学名電高等学校で硬式野球部に所属[2]。中村豪の指導を受けた。当時のチームメイトには安達俊也、中村基昭、山﨑武司、松久保新吾らがいる。3年夏の全国高等学校野球選手権愛知大会では4番に座り、決勝に進出。阪口慶三率いる東邦高等学校と対戦した。同点の9回裏2死満塁で打席が回ったが東邦のエース田中大次郎との力勝負で内野ゴロに倒れた。チームはその後延長の末敗れた。
高校3年生のとき、1985年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから6位指名を受け入団。同期入団には桑田真澄や福王昭仁らがいる。入団発表会見では王貞治から激励された[3]。巨人軍入団後は多摩川グラウンドで打撃面は町田行彦、守備面は山本和生に鍛えられた。
プロ2年目1987年は、MLBの傘下で野球留学したが、6年間の選手生活で一軍出場は出来ずに引退した。
1985年のシーズンまで吉村禎章が着用していた背番号55を入団時に球団から与えられ、退団まで55番を背負い続けた。杉浦の退団後、チャック・ケアリーを挟んで55を与えられたのが松井秀喜で、松井はメジャーリーグ挑戦まで55番を着け続けた[4]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]- 一軍公式戦出場なし
背番号
[編集]- 55(1986年 - 1991年)