杉木望一
表示
杉木 望一(すぎき もいち/もういち、1586年(天正14年)- 1643年12月14日(寛永20年11月4日))は、江戸時代前期の俳人である[1][2]。名は望都[1]、茂都とも表記される[1]。
経歴・人物
[編集]伊勢神宮の禰宜の家系だった杉木氏の子として生まれる[1]。幼少の頃から盲目となり[1][2]、勾当の称号を得た[1][2]。その後同じ伊勢神宮の禰宜だった荒木田守武の門人となり[1][2]、師匠の守武や『新撰犬筑波集』の作風から派生し[2]、その作風の俳諧をよくした[1][2]。これによって、伊勢における俳壇の中心的な指導者として名を馳せた[1][2]。
詠んだ句
[編集]- 花に来ぬ 人笑ふらし 春の山
- ほこ長し 天が下照る 姫はじめ
主な著作物
[編集]- 『望一千句』
- 『望一前千句』