杉崎瑢
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杉崎 瑢(すぎさき よう、1877年(明治10年)3月3日 - 1943年(昭和18年)7月6日)は、日本の教育家である[1][2]。
経歴・人物
[編集]神奈川県に生まれ[1][2]、東京高等師範学校(後の東京教育大学、現在の筑波大学)に入学する[1][2]。卒業後は留学のため渡米し[1][2]、カリフォルニア大学にて教育学および心理学を学んだ[1][2]。帰国後は静岡師範学校(後の静岡第一師範学校、現在の静岡大学教育学部)で教鞭を執り[1][2]、1916年(大正5年)には長野師範学校(現在の信州大学教育学部)に転勤する[1][2]。
翌1917年(大正6年)には同学校附属の小学校の研究学級の教師にあたり[1][2]、実験心理学を元に新教育の促進に携わった[1][2]。これによって1925年(大正15年)には新教育の研究会から「研究学級の経営」として杉崎が研究した成果の発表にあたった[1][2]。