杉山義雄
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杉山 義雄(すぎやま よしお 1866年10月26日(慶応2年9月18日)[1] - 1933年(昭和8年)4月8日)は、日本の実業家。
来歴・人物
[編集]1920-1932年の長期に亘り、秀英舎(大日本印刷)社長を務めた。
社外に於いては、東京商工会議所副会頭や、東京印刷同業組合組長などの他、日本耐火工業や日本エッチビー特許製版の取締役、東台銀行、武田割引銀行、日本開墾の監査役などを務めた。
また、昭和女子薬学専門学校(現昭和薬科大学)の設立に参画し、理事長に就任した。
1933年4月8日、死去。68歳。
脚注
[編集]- ^ 『人事興信録 5版』人事興信所、1918年、す24頁。
参考
[編集]- 報知新聞經濟部編『財界を牛耳る人々』(千倉書房 1931)