朽木経氏
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時代 | 鎌倉時代末期 - 南北朝時代初期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
改名 | 万寿丸(幼名)、頼氏、経氏[1] |
別名 | 出羽四郎[1] |
氏族 | 朽木氏 |
父母 | 父:朽木義氏 |
子 | 氏綱、氏秀 |
朽木 経氏(くつき つねうじ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期の武将。
経歴
[編集]父の代から足利尊氏に属した[2]。元徳2年(1330年)平姓池氏・河内顕盛の養子となり、丹後倉橋郷・武蔵[1]、相模鎌倉郡などの所領を譲られる[2]。延元3年/建武5年(1338年)1月、美濃黒血に要害を築き、近江・越前を転戦し、傷を負う[1]。正平6年/観応2年(1351年)足利尊氏から備前野田保地頭職を安堵され、足利義詮方につき、山城・河内などで南朝方と戦った[1]。正平18年/貞治2年(1363年)6月以前に没した[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 安田元久 編『鎌倉・室町人名事典』新人物往来社、1985年。ISBN 4404013027。
- 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496。