朽木智綱
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長3年(1598年) |
死没 | 寛文11年6月8日(1671年7月14日) |
改名 | 竹若丸(幼名)→茂綱(初名)→智綱 |
別名 | 権佐(通称)、立斎、好斎(号) |
幕府 | 江戸幕府 |
氏族 | 朽木氏 |
父母 |
父:朽木宣綱 母:マグダレナ(京極高吉の娘) |
兄弟 | 智綱、京極高通、良綱、元綱、大島義唯室、岡本介球室、川口宗次室、高麗道覚室 |
妻 | 正室:竹中重門の娘 |
子 | 定朝 |
生涯
[編集]朽木宣綱の長男。寛永11年(1634年)3月26日はじめて3代将軍徳川家光に謁見する。万治2年(1659年)12月23日に家督を相続して、父の遺領のうち弟の良綱に1000石、元綱に700石をそれぞれ分与し、残りの4770余石を知行した。寛文8年(1668年)12月14日に隠居し、子の定朝に家督を譲った。また同月23日、相州行光の脇差を献上している。寛文11年(1671年)6月6日、朽木にて没した。享年74。法名紹心。
参考文献
[編集]- 寛政重修諸家譜 巻第415