コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

祝融

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
朱明から転送)
祝融
二頭の龍に乗る祝融
二頭の龍に乗る祝融。山海経より
各種表記
拼音 Zhùróng
日本語読み: しゅくゆう
英文 Zhurong
テンプレートを表示

祝融(しゅくゆう)は、中国神話の火の[1]

概説

[編集]

炎帝の子孫とされ[2]を司る[3] [4]。そのため火災にあう事を「祝融に遇う」と言う場合がある[1]女媧が破損した天を補修し、地上に平和をもたらしたあと、江水に降って来たとされる[要説明]

山海経』の「海外南経」によると、祝融はの神であり、その姿は獣身人面であるという[5]

史記』の「三皇本紀」によると、祝融は共工と戦ってこれに勝ったが、その際に共工は不周山に頭を激突させたという[6]

墨子』の「非攻(下)」によると、天帝の命令を受けた祝融が、成湯を滅ぼす際に夏の都城に火を降らせたという[4]:313[7]

また、『山海経』の「海内経」によると、天帝に許可を得ずに洪水を防いだを、天帝の命令を受けた祝融が殺したという[2]

火の神以外の祝融

[編集]

史記』では五帝時代の官名とされる[8]

小説『通俗二十一史』では登場人物の一人であり、人皇によって諸侯に封じられており、女皇(女媧)によって康回(共工)討伐のために召し出され、その任を果たしている[9]

また、小説『三国志演義』の登場人物、祝融夫人帯来洞主姉弟は、祝融の末裔と言及されている[10]

2021年に火星に到達した中華人民共和国の火星探査機である天問1号の地上探査車は、祝融にちなんで祝融号と命名された[11]

脚注

[編集]
  1. ^ a b しゅくゆう 祝融」『大日本国語辞典』 3巻(修訂版)、富山房、東京、1940年5月8日、259-260頁。doi:10.11501/1870670NDLJP:1870670/134https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1870670/134  閲覧は自由
  2. ^ a b 「炎帝之妻,赤水之子聽訞生炎居,炎居生節竝,節竝生戲器,戲器生祝融,祝融降處於江水,生共工。共工生術器,術器首方顚,是復土穰,以處江水。共工生后土,后土生噎鳴,噎鳴生歳十有二。洪水滔天。鯀竊帝之息壤以堙洪水,不待帝命。帝令祝融殺鯀于羽郊」 山海經 海內經
  3. ^ 「火神也」 山海經 卷06 (四庫全書本)
  4. ^ a b 袁珂「祝融」『中国神話・伝説大事典』大修館書店、1999年3月1日、312-313頁。ISBN 978-4-469-01261-3 (項見出しp312)
  5. ^ 「南方祝融,獸身人面,乘兩龍」 山海經 海外南經
  6. ^ 「當其末年也,諸侯有共工氏,任智刑以強霸而不王,以水乘木,乃與祝融戰,不勝而怒。乃頭觸不周山崩,天柱折,地維𡙇」 三皇本紀
  7. ^ 原文は次の通り。「夏德大亂,往攻之,予必使汝大堪之。予既受命於天,天命隆火於夏之城間西北之隅」 墨子 非攻下篇 湯王が夏の乱れを正すための放伐を天から求めている場面であり、この「隆」を「降」と読んでいる。
  8. ^ 「重黎爲帝嚳髙辛居火正,甚有功,能光融天下,帝嚳命曰祝融。共工氏作亂,帝嚳使重黎誅之而不盡。帝乃以庚寅日誅重黎,而以其弟呉回爲重黎後,復居火正,爲祝融」 史記 卷040 楚先祖
  9. ^ 女皇命じて祝融を召して康回を征す」『通俗二十一史』 1巻、早稲田大学出版部、1911年、6-10頁https://books.google.co.jp/books?id=nScLVESAr4AC&newbks=1&newbks_redir=0&dq=%22%E7%A5%9D%E8%9E%8D%22&hl=ja&pg=PP122#v=onepage&q=%22%E7%A5%9D%E8%9E%8D%22&f=false2021年5月16日閲覧 
  10. ^ 視之,乃妻祝融夫人也。夫人世居南蠻,乃祝融氏之後」「眾視之,乃孟獲妻弟,現為八番部長,名曰帶來洞主」 三国演義 第90回
  11. ^ 中国第一辆火星车命名为:祝融号” (中国語). 中国国家航天局 (2021年4月24日). 2021年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月16日閲覧。

関連項目

[編集]
  • 朱雀 - 中国伝説で火の象徴、南方の象徴とされる