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ノート:祝融

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墨子/非攻下の記述

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墨子の原文の記述と内容が食い違っている点ですが、 [原著のスニペット]で、「天命融隆(降)火于夏城之间」とあるので、「原文は隆だがここでは降とする」ということのようです。「祝融考」の24ページを見ると、祝融はただの火でなく、雷光に結びつけて理解されており、つまりこの記述は火が空から降ってきたという超常現象の記載ではなく、「夏之城間西北之隅」に落雷があったという話になるようです(もともとの「隆火」でも結局は大差なく、(雷が落ちて)火事になった、と解釈できる気もしますが)。もともと墨子の内容は「あんた非攻って言ってるけど昔の聖賢が放伐を行ったことについてどう思ってるのよ」と質問された墨翟が、「湯王は夏を攻めたんじゃなくて天命に従って誅しただけです」と言い逃れをしている説明している場面で、単なる落雷という自然現象を、天命による物と解釈することで放伐を正当化するという「よくある話」に落ち着くように見えます。<研究ノート>日・中両民族の雷神思想の源流(その一)でも「黄・炎はもともと同族であるから、炎帝の子孫としての祝融と伝えてきたが、黄帝の子孫としての祝融とも伝えてきた」との引用があるので、現行の炎帝の子孫としての記述以外に、黄帝(雷神)の子孫としての祝融としての記述を盛り込めば、まとまりがよさそうです。--シダー近藤会話2021年5月19日 (水) 02:13 (UTC)[返信]