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本間高茂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

本間高茂(ほんま たかもち ? - (天正17年)1589年)は佐渡国の武将である。高貞とも。

(天正17年)1589年5月28日、上杉景勝は出雲崎港から300艘以上の船団を率いて、佐渡平定の先発隊を派遣した。この戦いにおいて、軍奉行の直江兼続は、戦闘を避けて降伏するよう各地の本間氏一族に通達を出した。その結果、沢根城主の本間左馬助の協力を得ることができた。

6月12日、景勝自ら1000艘以上の船団を率いて佐渡へ向かい、島の中央西部にある沢根に上陸した。そして、程近い河原田城本間高統を攻撃した。激しい戦いが繰り広げられたが、最終的に城に火を放って自害したと伝えられている。

次に、景勝は6月16日に、最も頑強に抵抗していた羽茂城主の本間高茂を攻めた。高茂は弟の赤泊城主・高頼や側近たちとともに城を脱出し、船で逃亡を図ったが、越後で捕らえられ、佐渡へ送還された。そして、国府川原で処刑されたのである。

こうして、400年もの間、佐渡に栄えていた羽茂本間氏は滅亡することとなった。[1]

脚注

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  1. ^ Vol 7. 佐渡平定 (直江風雲録)|戦国魂プロジェクト 公式サイト”. sengokudama.com. 2024年10月16日閲覧。