本村千代太
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本村 千代太 | |
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生誕 |
1893年1月12日 日本 佐賀県 |
死没 |
1944年6月11日(51歳没) 中華民国 河南省 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1913年 - 1944年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
本村 千代太(もとむら ちよた、1893年(明治26年)1月12日[1] - 1944年(昭和19年)6月11日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]1893年(明治26年)に佐賀県で生まれた[1]。陸軍士官学校第25期卒業[1]。1937年(昭和12年)8月に関東軍兵事部員に就任し[2]、1938年(昭和13年)7月に陸軍歩兵大佐に進級した[2]。1939年(昭和14年)3月に支那駐屯歩兵第1連隊長(北支那方面軍・第27師団)に就任し[2]、日中戦争に出動[1]。1940年(昭和15年)8月に北支那方面軍高級副官に転じた[2]。
1942年(昭和17年)8月1日に陸軍少将に進級し[2]、歩兵第59旅団長(第1軍・第69師団)に就任[1]。臨汾に駐屯し[1]、大行作戦、大岳作戦などの作戦に参加した[1]。1944年(昭和19年)3月に運城に移り[1]、霊宝会戦に出動[1]。黄河を渡り[1]、敵軍を撃砕したが[1]、6月11日に壮絶な戦死を遂げた[1]。同日任陸軍中将[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。