本山茂良
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本山 茂良(もとやま しげよし、生歿年不詳)は、江戸時代後期の土佐藩の武士。通称は右馬之助、のち彦弥。
来歴
[編集]- 土佐藩士(小姓格)乾正壽(宅兵衛)の二男として高知城下に生まれる。母は本山茂苞(安之進)の娘。
- 1812年(文化9年)、武芸を以って御目見を仰せ付けれ、その後、本山茂直(安之進)の養子を仰せ付けられ、母方の本山家を継いだ。
- 1815年(文化12年)8月15日、養父の跡目を相続し御扈従格を仰せ付けられた。
- 1821年(文政4年)7月28日、ゆえあって罪を被り追放を仰せ付けられる。
- 茂良の追放中に生まれた嫡男の本山楠弥太と、二男の猪三郎は、親類で土佐藩士の本山茂養(伊平)に養育され、楠弥太は、父茂良の実兄の乾正春(左八)の養子となり、乾家を継いだ。
- 本山猪三郎は、1846年(弘化3年)に武芸を以って、土佐藩主山内豊熈への御目見えを仰せ付けられ、許されて父茂良の遺跡を継いだ。
家系
[編集]本山家は、清和源氏吉良氏の支流に出る。吉良宣玄の二男の次郎茂光が、土佐国長岡郡本山郷を本貫として氏と為し「本山伊典」と号したのを始祖とする。戦国時代は、土佐七雄の一に数えられ、一時は長宗我部氏と覇を争うが、のちに長宗我部氏と婚を結び融和する。長宗我部氏の歿落後、1614年(慶長19年)山内一唯(豊前守)へ仕え、土佐より武蔵国指扇へ御供を仕り、新橋御屋敷へ相勤めた家柄。
参考文献
[編集]- 『御侍中先祖書系圖牒』旧山内侯爵家所蔵(高知県立図書館寄託)
- 『南路志』