本多正供
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 延享3年9月13日(1746年10月27日) |
死没 | 安永6年6月10日(1777年7月14日) |
改名 | 孝吉・三弥(幼名)、正供 |
戒名 | 皆遵普現院 |
墓所 | 東京都台東区西浅草の徳本寺 |
官位 | 従五位下、紀伊守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 駿河国田中藩主 |
氏族 | 本多氏 |
父母 | 父:本多正珍 |
兄弟 | 正堅、正供、善次、正敬 |
妻 |
正室:なし 側室:幾瀬(高島氏)、もよ(高島氏) |
子 | 正温、娘、娘 |
本多 正供(ほんだ まさとも)は、駿河田中藩の第3代藩主。正重系本多家8代。
延享3年(1746年)9月13日、第2代藩主本多正珍の次男として江戸で生まれる。長兄の正堅が早世したため、宝暦7年(1757年)11月18日に世子に指名された。宝暦8年(1758年)1月11日に正供と名乗り、宝暦11年(1761年)12月18日に従五位下・紀伊守に叙位・任官する。
安永2年(1773年)5月23日、父の隠居にともない家督を継ぐ。藩政では武芸を奨励するなどしているが、父に先立って4年後の安永6年(1777年)6月10日に死去した。享年32。跡を長男の正温が継いだ。
系譜
[編集]父母
- 本多正珍(父)
側室
- 幾瀬 ー 高島氏
- もよ ー 高島氏
子女
- 本多正温(長男)生母は幾瀬(側室)