四谷本塩町
四谷本塩町 | |
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町丁 | |
北緯35度41分22秒 東経139度43分48秒 / 北緯35.689469度 東経139.729886度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京 |
特別区 | 新宿区 |
地域 | 四谷地域 |
人口情報(2023年(令和5年)1月1日現在[1]) | |
人口 | 508 人 |
世帯数 | 342 世帯 |
面積([2]) | |
0.06934528 km² | |
人口密度 | 7325.66 人/km² |
設置日 | 2017年(平成29年)9月19日 |
郵便番号 | 160-0003[3] |
市外局番 | 03(東京MA)[4] |
ナンバープレート | 練馬 |
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四谷本塩町(よつやほんしおちょう)は、東京都新宿区の町名[5]。全域で住居表示を実施している[6]。
地理
[編集]新宿区南東部に位置する。北部から北東部は、靖国通りなどに接し、これを境に新宿区市谷本村町になる。町域東部は外堀通りやJR線の線路を境に千代田区五番町・六番町になる。町域南部は新宿区四谷一丁目に接する。町域西部は、新宿区四谷坂町・新宿区四谷三栄町に接する。靖国通りや外堀通り沿いにはオフィスビルが立ち並ぶが、道路から離れた地域は住宅地となっている。
歴史
[編集]1943年、市谷本村町の南西部・市谷七軒町・四谷塩町一丁目を合わせてできた合成地名。市谷本村町は1880年まで牛込区に属していたが、南西部(外堀から防衛省に通じる道路の南西側)のみ四谷区に編入された[注釈 1]。四ツ谷駅前再開発事業にともない、2016年、旧四谷塩町一丁目区域(財務省官舎および四谷第三小学校・四ツ谷駅前郵便局等跡地)は本塩町から分離し、四谷一丁目に編入された。旧本村町区域と塩町・七軒町区域は崖線によって隔てられており、狭い階段道が通じるだけで、外堀通り(高力坂上)から靖国通り(防衛省正門前)へ通じる坂道と、坂町坂以外に車道はない。
外堀通りを市ヶ谷から四ツ谷に向かって大きく左折して上がる坂の右側、 市谷本村町の南端に、旗本高力家旧邸に由来する「高力松」(こうりきまつ)という名木があり、外堀の空間越しに遠方からも見えることから広く知られていたが、東京大空襲で消滅した[注釈 2]。また本塩町13番地、雪印乳業本社の南側に、太田道灌が物見に上ったと伝える椎の老樹があり、南側の小道(雪印乳業本社と司法書士会館の間)を「椎の木横町」と呼んでいた。椎の木は地元民に愛されていたため保存運動が起こり、1964年、雪印乳業本社ビル建設に先立って本社入口に移植され、新宿区の天然記念物に指定された。しかし外堀通り拡幅のため、1996年7月、新宿区霞岳町の明治公園中央に再び移植された。(その後国立競技場改築事業の一環として聖徳記念絵画館前に仮移植されている。地元住民は駅前再開発事業用地内への帰還を望んでいるが、今後の行方については未定という。詳しくは明治公園のスダジイ参照)。
町内には、神祇伯家の末裔である白川資長子爵邸や、小泉策太郎(三申)・外交官の柳谷謙太郎邸があり、戦後は能楽師の三川泉・佐野萌邸も町内にあった。また外堀通りに面して「祥平館」という大型旅館があり[注釈 3]、通りに面した「無用階段」はトマソン1号として知られた(駅前再開発事業用地の東端)。
塩町一丁目区域は本塩町から分離したが、再開発事業にともなって大規模な発掘調査が行なわれ、麹の醸造に使われた地下室など、江戸時代の庶民生活を窺わせる遺跡と遺物が多数出土している。塩町一丁目の「人別帳」や「町入用帳」「御用留」などの近世史料が江戸東京博物館に所蔵されており、文献史学と考古学の両面からアプローチできる、きわめて好条件の江戸遺跡として注目されている。
また、町会には大正時代に製作された大神輿があり、戦後は須賀神社の宮神輿として使われてきたが、本社神輿の新調にともない、町会に返還された。須賀神社氏子区域では最古級の町神輿である(祭礼時以外は司法書士会館ロビーに安置)。
2016年12月8日の新宿区議会において、本塩町は2017年9月19日から「四谷本塩町(よつやほんしおちょう)」に改められ、住居表示が実施されることになった[7]。
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四谷駅前「しんみち通り」(2018年6月26日撮影)
世帯数と人口
[編集]2023年(令和5年)1月1日現在(東京都発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口の変遷
[編集]国勢調査による人口の推移。なお、2015年までは、本塩町を掲載。
年 | 人口 |
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1995年(平成7年)[8] | 774
|
2000年(平成12年)[9] | 722
|
2005年(平成17年)[10] | 557
|
2010年(平成22年)[11] | 487
|
2015年(平成27年)[12] | 412
|
2020年(令和2年)[13] | 546
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世帯数の変遷
[編集]国勢調査による世帯数の推移。なお、2015年までは、本塩町を掲載。
年 | 世帯数 |
---|---|
1995年(平成7年)[8] | 332
|
2000年(平成12年)[9] | 340
|
2005年(平成17年)[10] | 267
|
2010年(平成22年)[11] | 280
|
2015年(平成27年)[12] | 236
|
2020年(令和2年)[13] | 364
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学区
[編集]区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2018年8月時点)[14]。
交通
[編集]町域内には鉄道駅はないが、南西部方向に地下鉄丸ノ内線・JR中央線の四ツ谷駅が至近にある。
かつては都電3・12系統の停留所として「本塩町」があった(町名成立前は「本村町」)。外堀通りが狭隘であったことから、1970年に廃止されるまで、道路上にプラットホームはなく、車道から直接乗降する略式の停留所であった。1980年に都営新宿線が開通したのに合わせて、外堀通りを通る代替バスも廃止され、「本塩町」のバス停も消滅した(電停・バス停は、雪印乳業本社前付近にあった)。
町内の靖国通り側には「防衛省前」のバス停がある。
事業所
[編集]2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[15]。
- 事業所数 : 114事業所
- 従業員数 : 4,237人
施設
[編集]- 雪印メグミルク(旧・雪印乳業)本社[注釈 4]
- 三陽商会本社
- 司法書士会館
- 帝国データバンク史料館
- 前川建築設計事務所
- 新宿区立本塩町地域交流館
- 新宿区立本塩町児童館
- 社会福祉法人日本視覚障害者職能開発センター
その他
[編集]日本郵便
[編集]参考文献
[編集]- 『本塩町十三番地由来記』(雪印乳業株式会社広報部、1966年)
- 『江戸東京博物館史料叢書1・四谷塩町一丁目人別書上(上)』(江戸東京博物館、1998年)
- 『江戸東京博物館史料叢書2・四谷塩町一丁目人別書上(下)』(江戸東京博物館、1999年)
- 『江戸東京博物館史料叢書3・四谷塩町一丁目御用留』(江戸東京博物館、2000年)
- 『江戸東京博物館史料叢書4・四谷塩町一丁目町入用』(江戸東京博物館、2001年)
- 『江戸東京博物館史料叢書5・四谷塩町一丁目御触留』(江戸東京博物館、2002年)
- 『江戸東京博物館史料叢書6・四谷塩町一丁目書役徳兵衛日録』(江戸東京博物館、2003年)
- 『江戸東京博物館史料叢書7・四谷塩町一丁目幕末御触留』(江戸東京博物館、2004年)
- 『江戸東京博物館史料叢書8・四谷塩町一丁目人別関係補遺・近世祭礼篇』(江戸東京博物館、2005年)
- 『東京都江戸東京博物館研究報告』第11号「シンポジウム・江戸から東京へ─四谷塩町一丁目の暮らし─」(2005年)……赤澤春彦「人別書上に見る幕末期の四谷塩町一丁目」・米山勇「コンピュータ・グラフィックによる四谷塩町街並み再現の試み」・近松鴻二「住人列伝」・質疑応答・資料紹介(四谷塩町一丁目文書目録)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 新宿区内の広域地名である「四谷」「市谷」「牛込」を冠する町名は複雑に入り組んでいるが、おおよそ江戸城外壕に沿った台地上を「牛込」、防衛省の南辺を靖国通りに沿って流れていた旧紅葉川の流域を「市谷」、麹町から内藤新宿へ通じる台地上を「四谷」と呼んだらしい。四谷本塩町に含まれる「市谷七軒町」も、最近の発掘により、紅葉川に流下する小河川の源頭部に当たることが確認された。
- ^ 旧地の向かい側、外堀グランドに沿った外堀通りに記念碑がある。
- ^ 現在は四谷一丁目のしんみち通りで「ホテル・ニューショウヘイ」として営業を継続している。
- ^ 登記上の本店は札幌市東区苗穂町。本社(本塩町→四谷本塩町)・登記上の本店(苗穂町)共に旧・雪印乳業時代から変わっていない。
出典
[編集]- ^ a b “住民基本台帳による東京都の世帯と人口(町丁別・年齢別) 令和5年1月” (CSV). 東京都 (2023年4月6日). 2023年12月17日閲覧。 “(ファイル元のページ)”(CC-BY-4.0)
- ^ “『国勢調査町丁・字等別境界データセット』(CODH作成)”. CODH. 2024年2月4日閲覧。(CC-BY-4.0)
- ^ a b “四谷本塩町の郵便番号”. 日本郵便. 2023年11月17日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ 『角川日本地名大辞典 13 東京都』、角川書店、1991年再版、P879
- ^ 四谷本塩町の住居表示【平成29年9月19日】 新宿区 2017年9月19日 2017年11月1日閲覧
- ^ 新宿区の住居表示実施状況 新宿区
- ^ a b “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
- ^ “通学区域”. 新宿区 (2018年8月13日). 2024年2月4日閲覧。
- ^ “経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2022年度版” (PDF). 日本郵便. 2023年10月28日閲覧。