木田神社
木田神社 | |
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所在地 | 福井県福井市西木田2丁目 |
位置 | 北緯36度3分12.2秒 東経136度12分50秒 / 北緯36.053389度 東経136.21389度座標: 北緯36度3分12.2秒 東経136度12分50秒 / 北緯36.053389度 東経136.21389度 |
主祭神 | 建速須佐之男尊(牛頭天王)・稲田姫命・八柱御子命 |
創建 | 871年(貞観13年) |
別名 | 牛頭天王宮、医王山安楽寺金剛院(神宮寺) |
例祭 | 5月14〜16日、10月7〜8日 |
木田神社(きだじんじゃ)は、福井県福井市西木田に鎮座する神社である[1]。
歴史
[編集]871年(貞観13年)、常国守の発願があって建立[2][3]、尾張国津島神社から建速須佐之男を勧請して、牛頭天王宮(ごずてんのうぐう)と称し、木田郷の総鎮守として奉祀した[3]。別当は、真言宗医王山安楽寺金剛院[1]。
なお、社記によれば、元の表記は「気多」であった。時期は不明であるが「木田」と書き表すようになった。また、創建当時は、社殿は東向きであったが、現在は西向きである。境内の東には、天王宮入口の文字が残っている[3]。
1157年(保元2年)、越前押領使の林六郎太夫光明公の崇敬により、社殿等が建てられたが、1582年(天正10年)8月、火災が起こり、社殿は消失した。1602年(慶長7年)3月、本殿、拝殿、渡殿が建てられるが、1582年(享保12年)損壊し、再建された[3]。その後、1948年(昭和23年)福井地震で本殿を除く建物が損壊するが、1954年(昭和29年)に再建した[4]。
江戸時代は、祇園祭で知られる[2]。
中世以降は、神仏習合による信仰を集めたが[5]、明治維新の際に「氷川神社」と改称し、その後、1877年(明治10)3月「木田神社」と改称した[1]。1885年(明治8年)12月に郷社になり、1908年(明治41年)8月には、神饌幣帛料供進神社に指定された[3]。
例祭は、5月14日〜16日、10月7日〜8日[2]。
境内
[編集]- 拝殿
- 本殿
- 晴明神社
祭神は安倍晴明で、火伏せの神として信仰を集めてきた。これは、960年(天徳4年)に、北陸道を巡った安倍晴明が木田荘で宿泊した際に、火伏の呪法を修めたことに由来する[6]。
- 稲荷神社
- 手水舎
宝物
[編集]- 猿田彦大神の面及び獅子頭
山奥の湯浅三郎右衛門の家宝だったが、不思議なことが起こったため奉納された[3]。