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木村寅太郎

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木村寅太郎

木村 寅太郎(きむら とらたろう、1902年(明治35年)9月13日[1] - 1972年昭和47年)4月13日[2])は、昭和時代の政治家衆議院議員

経歴

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木村吉三郎の長男として[3]、群馬県新田郡笠懸村(笠懸町を経て現みどり市)に生まれる[4]1924年(大正13年)東京帝国大学農学部実科卒業[5]

県農会技師、大日本青年団組織課長、群馬県会議員、大政翼賛会群馬県支部常務委員、同臨時中央協力会議員、県翼賛少年団副団長、大政翼賛会県支部錬成本部長、県翼賛壮年団副団長、文部省委員などを歴任した[4]

1942年(昭和17年)4月の第21回衆議院議員総選挙では群馬県第1区から翼賛政治体制協議会推薦で出馬し当選[5]。衆議院議員を1期務めた[5]。在任中は翼賛政治会事務局参与、政調内閣委員を務めた[4]。戦後、公職追放となった[6][注 1]

脚注

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注釈

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  1. ^ 公職追放の該当事項は「推薦議員」。

出典

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  1. ^ 衆議院事務局 1942, 10頁.
  2. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』208頁。
  3. ^ 人事興信所 1943, キ29頁.
  4. ^ a b c 議会新聞社 1943, 138頁.
  5. ^ a b c 衆議院、参議院 1962, 160頁.
  6. ^ 総理庁官房監査課 1949, 一般該当者名簿250頁.

参考文献

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