木曾冠者源義仲及其一門
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作者 | 喜多川歌麿 (2代目)[2] |
---|---|
製作年 | 江戸時代(文化 - 天保初期頃)[2] |
種類 | 浮世絵[1] / 間倍判錦絵[2] |
寸法 | 47.0 cm × 34.7 cm (18.5 in × 13.7 in); 図録用[2] |
所蔵 | 東京都立図書館 [1]、岐阜県博物館[2] |
『木曾冠者源義仲及其一門』(きそかんじゃ みなもとの よしなか および その いちもん)は、江戸時代の浮世絵師・喜多川歌麿 (2代目) による浮世絵(錦絵)作品。平安時代の武将・源義仲(木曾義仲)およびその家臣ら総勢21人を描いたものである[1][2]。
概要
[編集]江戸時代に「木曾冠者源義仲及其一門」として絵画や浮世絵となったもので、人物の選定は喜多川歌麿である。
描かれている人物
[編集]資料によって異なるが、一般的には次の武将をさす。カッコ内は文書上から確認される確実な諱。
生没年 | 出自 | 死因 | |
---|---|---|---|
源義仲(木曾冠者源義仲) | 1154年-1184年 | 清和源氏為義流(河内源氏) | 戦死 |
今井兼平(今井四郎兼平)(義仲四天王) | 1152年-1184年 | 中原氏 | 戦死 |
樋口兼光(樋口次郎兼光)(義仲四天王) | 不明-1184年 | 中原氏 | 刑死 |
巴御前(一人当千の女武者) | 不明-不明 | 中原氏 | |
楯親忠(楯六郎親忠)(義仲四天王) | 不明-1184年 | 望月氏・滋野氏の庶流 | 戦死 |
根井行親(根井大弥太郎行親)(義仲四天王) | 不明-1184年 | 望月氏・滋野氏の庶流 | 戦死 |
高楯光延(高楯次郎光延) | 不明-不明 | ||
中山兼任(中山權頭兼任) | 不明-不明 | ||
覚明(大夫房覚明) | 不明-1241年 | ||
小室忠兼(小室太郎忠兼) | 不明-不明 | ||
矢田義兼(矢田判官代義兼) | 不明-不明 | ||
小林次郎 | 不明-不明 | ||
手塚光盛(手塚太郎光盛) | 不明-1184年 | 金刺氏 | 戦死 |
宇野弥行廣(宇野弥平四郎行廣) | 不明-不明 | ||
石黒光廣(石黒太郎光廣) | 不明-不明 | ||
源行家(十郎蔵人行家) | 不明-1186年 | 清和源氏為義流(河内源氏) | 刑死 |
圓子小平太 | 不明-不明 | ||
千野光弘(千野太郎光弘) | 不明-不明 | ||
山吹御前 | 不明-不明 | 金刺氏 | |
諏訪三郎 | 不明-不明 | ||
餘田次郎 | 不明-不明 |