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木曾冠者源義仲及其一門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『木曾冠者源義仲及其一門』
東京都立図書館デジタルアーカイブより[1]
作者喜多川歌麿 (2代目)[2]
製作年江戸時代文化 - 天保初期頃)[2]
種類浮世絵[1] / 間倍判錦絵[2]
寸法47.0 cm × 34.7 cm (18.5 in × 13.7 in); 図録用[2]
所蔵東京都立図書館 [1]岐阜県博物館[2]

木曾冠者源義仲及其一門』(きそかんじゃ みなもとの よしなか および その いちもん)は、江戸時代浮世絵師喜多川歌麿 (2代目) による浮世絵錦絵)作品。平安時代武将源義仲(木曾義仲)およびその家臣ら総勢21人を描いたものである[1][2]

概要

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江戸時代に「木曾冠者源義仲及其一門」として絵画や浮世絵となったもので、人物の選定は喜多川歌麿である。

描かれている人物

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資料によって異なるが、一般的には次の武将をさす。カッコ内は文書上から確認される確実な諱。

生没年 出自 死因
源義仲(木曾冠者源義仲) 1154年-1184年 清和源氏為義流(河内源氏) 戦死
今井兼平(今井四郎兼平)(義仲四天王) 1152年-1184年 中原氏 戦死
樋口兼光(樋口次郎兼光)(義仲四天王) 不明-1184年 中原氏 刑死
巴御前(一人当千の女武者) 不明-不明 中原氏
楯親忠(楯六郎親忠)(義仲四天王) 不明-1184年 望月氏・滋野氏の庶流 戦死
根井行親(根井大弥太郎行親)(義仲四天王) 不明-1184年 望月氏・滋野氏の庶流 戦死
高楯光延(高楯次郎光延) 不明-不明
中山兼任(中山權頭兼任) 不明-不明
覚明(大夫房覚明) 不明-1241年
小室忠兼(小室太郎忠兼) 不明-不明
矢田義兼(矢田判官代義兼) 不明-不明
小林次郎 不明-不明
手塚光盛(手塚太郎光盛) 不明-1184年 金刺氏 戦死
宇野弥行廣(宇野弥平四郎行廣) 不明-不明
石黒光廣(石黒太郎光廣) 不明-不明
源行家(十郎蔵人行家) 不明-1186年 清和源氏為義流(河内源氏) 刑死
圓子小平太 不明-不明
千野光弘(千野太郎光弘) 不明-不明
山吹御前 不明-不明 金刺氏
諏訪三郎 不明-不明
餘田次郎 不明-不明

[3][4]

脚注

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  1. ^ a b c d 東京都立図書館デジタルアーカイブ 木曽冠者源義仲及其一門”. 東京都立図書館. 2019年2月27日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 木曽冠者源義仲と諸将”. 岐阜県博物館. 2019年2月27日閲覧。
  3. ^ 武居用拙『岐蘇古今沿革志』(明治23年(1890年))
  4. ^ 平家物語

参考文献

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