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木寺寛爾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

木寺 寛爾(きでら かんじ、1892年明治25年)11月29日 - 1961年昭和36年)3月29日[1])は、大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍主計少将

人物・略歴

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長崎県出身[1]。1912年福岡県立中学修猷館を卒業[2]

1915年12月海軍経理学校第4期乙種学生を首席で卒業。1936年12月主計大佐に累進し、1937年12月第二艦隊主計長に就任。1938年12月呉経理部第2課長、1939年6月呉工廠会計部計算課長などを経て、1941年12月支那方面艦隊主計長に就任[3]

1942年11月主計少将に進み、第1経理部長兼第1軍需部長。1943年6月上海運輸部長を兼務し、同年8月支那方面艦隊主計長を兼務する。同年10月横須賀工廠会計部長に就任。1945年11月予備役となる[1]

脚注

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  1. ^ a b c 福川秀樹『日本海軍将官辞典』 136頁、芙蓉書房出版、2000年
  2. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員9頁
  3. ^ 外山操『陸海軍将官人事総覧 海軍編』 331頁、芙蓉書房、1981年