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朝日健太郎 (社会運動家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

朝日 健太郎(あさひ けんたろう、1944年[1] - )は、日本の新左翼活動家。フロント (社会主義同盟)共同代表[2][注釈 1]。本名・山田勝[1]

経歴

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群馬県前橋市生まれ。営林署職員であった父親の転勤に伴い那須東京伊豆高萩で転勤生活を送る。茨城大学附属中学校に一学期通った後、港区立高松中学校に転校。1960年、東京都立日比谷高校に入学[3]統一社会主義同盟(統社同)系の社研に入部。一浪して1964年[4]東京大学文科Ⅰ類に入学、統社同に加入[2]。のち東大卒業[1]。統社同は1960年代後半に構造改革路線を捨てて急進化・新左翼化した[5]

統社同が1970年12月に名称変更した日本共産主義革命党の政治局員となり[6]、労働運動路線を主張したが[5]、統社同的体質が抜けない傾向だとして1972年3月に政治局員を解任された。同年4月に組織が分解、1974年8月の再建大会で書記長に選出された[6]。同党は後に名称を「フロント (社会主義同盟)」に変更、大衆化路線を進み穏健な市民運動に転換した[2]。その後、ネットワーク型組織への変化に伴い、朝日はフロントの議長から代表となった[7]

労働運動研究所理事、市民新聞「ACT」編集を経て、「NPO現代の理論・社会フォーラム」運営委員[1]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『戦後左翼たちの誕生と衰亡』では先駆社・共同代表[1]

出典

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  1. ^ a b c d e 川上徹『戦後左翼たちの誕生と衰亡――10人からの聞き取り』同時代社、2014年、本書登場人物略歴
  2. ^ a b c 小林哲夫『シニア左翼とは何か』朝日新聞出版(朝日新書)、2016年、226-227頁
  3. ^ 川上徹『戦後左翼たちの誕生と衰亡――10人からの聞き取り』同時代社、2014年、99-100頁
  4. ^ 川上徹『戦後左翼たちの誕生と衰亡――10人からの聞き取り』同時代社、2014年、87頁
  5. ^ a b 川上徹『戦後左翼たちの誕生と衰亡――10人からの聞き取り』同時代社、2014年、90頁
  6. ^ a b 21回大会への歴史報告(先駆10年11月号掲載) フロント[社会主義同盟]
  7. ^ 川上徹『戦後左翼たちの誕生と衰亡――10人からの聞き取り』同時代社、2014年、110頁

外部リンク

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