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服部村 (鳥取県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
はっとりそん
服部村
廃止日 1928年4月1日
廃止理由 新設合併
塩見村服部村福部村
現在の自治体 鳥取市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
岩美郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 1,774
[1]、1925年)
隣接自治体 塩見村、中ノ郷村大岩村本庄村
服部村役場
所在地 鳥取県岩美郡服部村大字細川
地図
旧・服部村役場庁舎位置
(現在の細川コミュニティーセンター付近)[2]
座標 北緯35度33分28秒 東経134度16分44秒 / 北緯35.557658度 東経134.278917度 / 35.557658; 134.278917座標: 北緯35度33分28秒 東経134度16分44秒 / 北緯35.557658度 東経134.278917度 / 35.557658; 134.278917
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服部村(はっとりそん)は、鳥取県岩美郡にあった自治体である。1896年(明治29年)3月31日までは岩井郡に属した。

概要

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現在の鳥取市福部町湯山・福部町海士(あもう)・福部町細川・福部町岩戸に相当する[注 1]。塩見川とその支流の箭渓川流域に位置し、北は日本海に面した。

服部の名は古代に機織の技をもった服部(はとりべ)に由来するとされ、海士に鎮座する服部神社の祭神が服織神(はとりのかみ)であることから当地に機織りの工匠がいたと推察される。平安時代には服部郷に属し、その後荘園が発達すると服部荘と呼ばれた。藩政時代には鳥取藩領の岩井郡服部庄に属する湯山村・海士村・細川村・岩戸村があった[1][3]

細川は但馬往来や岩井往来の宿駅が置かれ、また交通・運輸・通信の面からも要所であった[1]

岩戸は駟馳山西麓に位置した。元々は細川村の出村であったが享保年間以後年貢高を分けて別村とした。しかし岩戸村として正式に独立したのは明治に入ってからであった[1]

沿革

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  • 1877年(明治10年)5月22日 - 細川村から岩戸村が分村する[1]
  • 1881年(明治14年)9月12日 - 鳥取県再置。
  • 1883年(明治16年)- 栗谷村(後の元塩見村)に置かれた連合戸長役場の管轄区域となる[1]
  • 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行により、湯山村・海士村・細川村・岩戸村が合併して村制施行し、服部村が発足。旧村名を継承した4大字を編成し、役場を細川村に設置[1]
  • 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、邑美郡法美郡・岩井郡の区域をもって岩美郡が発足し、岩美郡服部村となる。
  • 1914年(大正3年)10月1日 - 「服部村大字○○村」から大字の「村」を削除し、「服部村大字○○」と改称[4]
  • 1928年(昭和3年)4月1日 - 塩見村と合併して福部村が発足。同日服部村廃止[5]

行政

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歴代村長

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氏名 就任年月日 退任年月日 出身 備考
井手野友衛 1889年(明治22年)11月20日 1890年(明治23年)9月 海士
浜本重次郎 1890年(明治23年)9月6日 1894年(明治27年)9月5日 湯山
前川義治 1894年(明治27年)9月21日 1896年(明治29年)11月21日 湯山
井手野友衛 1896年(明治29年)12月11日 1897年(明治30年)1月 海士
橋本久六 1897年(明治30年)1月29日 1899年(明治32年)3月4日 湯山
浜本重次郎 1899年(明治32年)3月27日 1906年(明治39年)8月23日 湯山
横田定 1906年(明治39年)9月7日 1909年(明治42年)7月15日 鳥取市
井手野芳次郎 1909年(明治42年)7月 1910年(明治43年)1月10日 海士
岸根芳光 1910年(明治43年)1月15日 1910年(明治43年)1月26日 細川
若光喜代蔵 1910年(明治43年)3月23日 1910年(明治43年)7月31日 岩戸
前川義治 1910年(明治43年)10月14日 1911年(明治44年)12月26日 湯山
牧村鈴雄 1912年(明治45年)3月18日 1914年(大正3年)2月29日 鳥取市
井手野芳次郎 1914年(大正3年)4月8日 1916年(大正5年)11月5日 海士
山根多蔵 1916年(大正5年)4月 不詳 細川
井手野芳次郎 1922年(大正11年)6月 1928年(昭和3年)3月31日 海士
参考文献 - [1]

教育

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交通

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 福部村誌(福部村、1981年)
  2. ^ 1/20000細川 明治30年測図・明治33.3.30発行今昔マップ on the web
  3. ^ 角川日本地名大辞典 鳥取県「服部郷(古代)」「服部荘(中世)」「服部庄(近世)」
  4. ^ 「字名改称並区域変更」『官報』1914年9月19日国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ 「村廃置」『官報』1928年4月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)

注釈

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  1. ^ 鳥取市服部は当村域ではなく気高郡蒲野部村、後の大正村の所属であった。

関連項目

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