曲淵駅
曲淵駅 | |
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まがりふち Magarifuchi | |
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所在地 | 北海道稚内市大字声問村字曲渕 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | 天北線 |
キロ程 | 116.7 km(音威子府起点) |
電報略号 | マカ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | 1922年(大正11年)11月1日[1] |
廃止年月日 | 1989年(平成元年)5月1日[1] |
備考 | 天北線廃線に伴い廃駅 |
曲淵駅(まがりふちえき)は、北海道(宗谷支庁)稚内市大字声問村字曲渕にかつて存在した、北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。電報略号はマカ。事務管理コードは▲121915[4]。
歴史
[編集]- 1922年(大正11年)11月1日 - 鉄道省宗谷本線、鬼志別駅 - 稚内駅(現在の南稚内駅)間の延伸開通(宗谷本線全通)に伴い開業[5][6]。一般駅[1]。
- 1930年(昭和5年)4月1日 - 音威子府駅 - 稚内駅間を宗谷本線から北見線に改称、それに伴い同線の駅となる。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1961年(昭和36年)4月1日 - 路線名称が天北線に改称され、それに伴い同線の駅となる。
- 1964年(昭和39年)頃 - 近隣の曲淵炭鉱が閉山。石炭輸送が途絶える。
- 1982年(昭和57年)6月1日 - 貨物の取り扱いを廃止[1]。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物の取り扱いを廃止[1]。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[1]。
- 1989年(平成元年)5月1日 - 天北線の全線廃止に伴い、廃駅となる[1]。
駅名の由来
[編集]「この付近を流れる川がふちをなして、たいへん曲がっているので[5]」命名したとされている。
地名表記は現在異体字の渕を使用しているが、駅については開業から廃止に至るまで正字の淵を使用している[6]。
駅構造
[編集]廃止時点で、単式ホーム・島式ホーム(片面使用)を複合した計2面2線のホームと線路を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは、駅舎側ホーム中央部分と島式ホーム中央部分を結んだ構内踏切で連絡していた[7]。駅舎側(北側)ホームが上りの1番線、対向側ホームが上下共用の2番線となっていた[7]。そのほか島式ホームの外側に2線を側線として有しており、1番線の音威子府方から分岐し駅舎東側の切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた[7]。
職員配置駅となっており、木造駅舎は構内の北側に位置し、1番線ホーム中央部に接していた[7]。
利用状況
[編集]乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | |
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年間 | 1日平均 | |||
1935年(昭和10年) | 3,378 | (9.2) | [8] | |
1949年(昭和24年) | 66,623 | (182.5) | ||
1968年(昭和43年) | 102,464 | (280.7) | [9] | |
1970年(昭和45年) | 84,227 | (230.8) | ||
1975年(昭和50年) | 58,266 | (159.6) | ||
1980年(昭和55年) | 39,231 | (107.5) | ||
1978年(昭和53年) | 132 | [10] | ||
1981年(昭和56年) | (55.0) | [7] | 1日当たりの乗降客数110人 | |
1985年(昭和60年) | 21,226 | (58.2) | [9] |
駅周辺
[編集]1960年代前半までは、天北炭田で栄えていたが、現在は僅かな集落が残るのみである。2010年(平成22年)時点では、町はずれに露天掘り炭鉱の跡が残存している。
- 北海道道646号曲淵停車場線
- 北海道道138号豊富猿払線
- 稚内曲渕簡易郵便局
- 曲渕神社
- 宇流谷川[11]
- 宗谷バス曲渕線「曲渕」停留所(2020年3月31日限りで廃止)
駅跡
[編集]2001年(平成13年)時点では「曲渕ふれあい公園」に整備されており、駅名標を模した看板が設置されていた[12]。また駅前にあった植え込みがそのまま残存していた[12]。2010年(平成22年)時点では公園は同様であった[13]。また、2011年(平成23年)時点ではバス待合所の建物が建築されていた[14]。周辺の道路標識には「曲渕駅」(「ふち」の文字は「渕」)と記載されたものが使用されている[14]。現在は、住宅が建てられている。また、駅周辺の路盤は北海道道138号豊富猿払線に転用されている。
なお、天北線代替バスの再編後、2011年より運行されていた宗谷バス曲渕線は、2020年3月末をもって廃止[15]され、乗合タクシーに転換された。
その他
[編集]1987年(昭和62年)4月時点で、当駅を着駅とする区間列車が上り1本(稚内駅 - 当駅間)設定されていた(1987年〈昭和62年〉3月20日改定の時刻[16])。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、907頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 1949年撮影航空写真(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス)
- ^ 1957年測量2.5万分の1地形図「曲渕」
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、241頁。doi:10.11501/1873236 。2023年2月11日閲覧。
- ^ a b 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、188頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ a b 内閣印刷局, ed (1922-10-27). “鉄道省告示 第144号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (3013) .
- ^ a b c d e 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)190ページより。
- ^ 稚内市史編纂室 編『稚内市史』 1巻、稚内市、1968年、1005頁。doi:10.11501/3448729 。2022年8月11日閲覧。
- ^ a b 稚内市史編纂室 編『稚内市史』 2巻、稚内市、1999年、729頁。doi:10.11501/9490970 。2022年8月11日閲覧。
- ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、894頁。doi:10.11501/12065814 。
- ^ 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)17ページより。
- ^ a b 書籍『鉄道廃線跡を歩くVIII』(JTBパブリッシング、2001年8月発行)41-42ページより。
- ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)19ページより。
- ^ a b 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社、2011年9月発行)250-251ページより。
- ^ 曲渕線廃止のお知らせ - 宗谷バス
- ^ 時刻表『JNR編集 時刻表 1987年4月号』(弘済出版社、1987年4月発行)509ページより。