コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

暗殺または暗殺を企図されたアメリカ合衆国大統領の一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マッキンリーが暗殺される様子を描いた絵画
アキーレ・ベルトラーメ『ウィリアム・マッキンリー大統領の暗殺』(1901年)

19世紀初頭から現在に至るまで、アメリカ合衆国大統領に対する暗殺、暗殺未遂および企図は数多く発生している。この記事では現職大統領、元大統領、当選した次期大統領に対する暗殺や暗殺未遂事件を列挙しており、大統領に選出されていない人物に対する事件については記載しない。

1835年1月30日、第7代大統領アンドリュー・ジャクソンは暗殺を企図された最初の大統領となった。ジャクソンが下院議事堂で行われた葬儀から出てきたところを、リチャード・ローレンスが2回銃撃しようとした。拳銃は2回とも不発で、暗殺は失敗した[1]

現職大統領としては、第16代エイブラハム・リンカーン、第20代ジェームズ・ガーフィールド、第25代ウィリアム・マッキンリー、第35代ジョン・F・ケネディの4人が殺害された。第40代ロナルド・レーガンは攻撃によって負傷し、生き残った唯一の例である。元大統領を含めると第26代セオドア・ルーズベルト、第45代ドナルド・トランプの2人も攻撃を受け負傷している[2]

大統領が死亡・負傷したこれらすべての事件において、攻撃手段は銃器が使われた。実行犯が女性だった暗殺未遂事件は2件のみで、いずれも第38代大統領ジェラルド・フォードを狙ったものであった。

多くの暗殺計画は、成功したか如何にかかわらずアメリカ政府の政策を変えたいという個人的な願望をもつ男性によって行われた[3]。しかし、すべてに政治的な理由があるわけではなく、精神的に懸念が残り、法的に刑事責任を負えないと判断された暗殺者も数多くいる。歴史家ジェームズ・W・クラークは、ほとんどの暗殺未遂者は理性的であり、政治的な動機を持っていると示唆するが[3]司法省は大多数が正気ではないと主張している[4]。一部の暗殺者、特に精神障害のある暗殺者は単独で行動したが、政治的な論議を追求し、矛盾を主張する者は共謀者の支援とともに計画を企て、実行している。彼らのほとんどは刑務所または精神病院において処刑または長期拘留され、処罰された。

暗殺された大統領の後継者となる副大統領は大統領の政党に所属しているため、大統領の死が大きな政策変更を余儀なくされることはほとんどなく、党派の対立があるときでも政治団体が連携して攻撃することは通常ない[5]。大統領に対する暴力による脅迫は、深刻な意図なしに社会的な動向を操作したり、襲撃することで注目を得たりするために行われることが多いが[6]1917年以来連邦政府の重罪となっている[7]

暗殺された大統領

[編集]

エイブラハム・リンカーン

[編集]
リンカーンが暗殺される様子を描いた絵画
フォード劇場の大統領特等席。左から、暗殺者のジョン・ウィルクス・ブースエイブラハム・リンカーンメアリー・トッド・リンカーン、クララ・ハリス、ヘンリー・ラスボーン

第16代大統領エイブラハム・リンカーンは、1865年4月14日の聖金曜日午後10時15分頃、ワシントンD.C.フォード劇場で銃によって暗殺された。暗殺者のジョン・ウィルクス・ブースは有名な俳優で、メリーランド州出身の南部同盟シンパであった。南部同盟軍には入隊しなかったものの、南部同盟のシークレットサービスに協力者がいたとされる[8]1864年、ブースは南軍捕虜解放と引き換えにリンカーンを誘拐する計画[注釈 1]を立てた後、1865年4月11日、リンカーンが黒人の投票権を推進する演説に出席した後、ブースは代わりに大統領を暗殺することを決意[10]。大統領がフォード劇場に出席することを知ったブースは、共犯者たちと劇場でリンカーンを、副大統領アンドリュー・ジョンソンと国務長官ウィリアム・H・スワードを自宅で暗殺する計画を練った。リンカーンはフォード劇場で上演された「Our American Cousin[注釈 2]」を鑑賞[11]。大統領がバルコニーの特別観覧席に座り、妻のメアリー、ゲストのヘンリー・ラスボーン少佐とその婚約者クララ・ハリスの2人とともに劇を観ていると、ブースが背後から侵入。ブースは44口径のデリンジャー・ピストルをリンカーンの後頭部に向けて発砲し、リンカーンは致命傷を負った。ラスボーンは一瞬ブースと格闘したが、ブースはラスボーンを刺して逃走した。意識不明のリンカーンは医師の診察を受け、向かいのピーターセン邸に運ばれた。8時間の昏睡状態の後、4月15日午前7時22分、リンカーンは息を引き取った[12]

死の間際、リンカーンの呼吸が少なくなるにつれ、表情は穏やかになっていった[13]。翌朝、リンカーンは微笑むように亡くなったという記録が残っている[14][15][16][17][18]歴史家作家のリー・デービスは、死後の穏やかな表情を「この4年間で彼が初めて見せた穏やかな顔だ」と記した[19][14]。財務次官マウンセル・フィールド英語版ニューヨーク・タイムズに宛てた手紙の中で、「苦しむ様子はなく、けいれんもせず、喉も鳴らさず、ただ呼吸が止まっているだけでした。こんなに穏やかで幸せそうな大統領の顔は見たことがありません」と述べている[20][16]。また、大統領秘書のジョン・ヘイは「息絶えた大統領の表情は、言葉で言い表せないほど安らかなものだった」と残している[21]

ブースの大統領暗殺は成功したものの、スワード国務長官への襲撃は負傷させただけで終わり、ジョンソン副大統領への襲撃は実行されなかった。12日間の逃亡の末、ブースはワシントンから約70マイル (110 km)南のバージニア州の農場で北軍兵士に発見された。ブースは投降を拒否したため、北軍騎兵ボストン・コーベット英語版によって射殺された。その後、4人の共犯者が暗殺に関与したとして絞首刑に処された。

ジェームズ・ガーフィールド

[編集]
ガーフィールドが襲撃される様子を描いた絵画
撃たれたジェームズ・ガーフィールド大統領(中央右)と、大統領をかばうジェイムズ・G・ブレイン国務長官(中央左)。襲撃犯のチャールズ・J・ギトー(左奥)は群衆によって捕らえられている。

第20代大統領ジェームズ・ガーフィールドは、就任から4か月も経たない1881年7月2日土曜日午前9時20分、ワシントンD.C.のボルチモア・アンド・ポトマック鉄道駅英語版で襲撃された。ガーフィールドが駅に着くと、作家で弁護士のチャールズ・J・ギトー.442ウェブリー弾英語版を装填した回転式拳銃ブリティッシュ・ブルドッグ・リボルバー英語版)でガーフィールドを2発撃ち、1発は肩をかすめ、もう1発は背中に命中した[22]。ガーフィールドは銃撃の痛みと苦しみに耐え続けたが、9月19日午後10時35分に死亡した。銃弾がガーフィールドの体内に残っており、医師らが消毒していない指や器具で傷口を探っていたため、医原性感染症による合併症が死因となった。

ギトーはただちに逮捕された。同年11月14日から翌年1月25日まで続いた裁判は大々的に報道され、ギトーは死刑を宣告された。ギトーの上訴は棄却され、銃撃からほぼ1年後となる1882年6月30日にワシントンで絞首刑に処された。裁判や検死において、ギトーは精神異常神経梅毒の影響を受けていたと診断された[23]。ギトーは、自身がフランス大使に任命されなかったことに失望してガーフィールドを撃ったと主張した。1880年の大統領選でギトーは共和党の応援演説を執筆しており、ガーフィールドの当選は自身の手柄だと思い込んでいた[24]

ウィリアム・マッキンリー

[編集]
マッキンリーが襲撃される様子を描いた絵画
レオン・チョルゴッシュはハンカチで拳銃を隠し、ウィリアム・マッキンリー大統領を襲った。

第25代大統領ウィリアム・マッキンリーは、1901年9月6日金曜日午後4時7分、ニューヨーク州バッファローテンプル・オブ・ミュージック英語版で銃撃を受けた。パンアメリカン博覧会英語版に出席していたマッキンリーは、無政府主義者レオン・チョルゴッシュがハンカチの下に隠していた回転式拳銃(.32口径アイバージョンソン英語版セーフティオートマチック)から発射された2発の銃弾を腹部に至近距離で受けた。1発目の弾丸はマッキンリーの上着のボタンか勲章で跳ね返って袖に突き刺さり、2発目はを貫通した。治療を受けたマッキンリーは回復していると思われたが、傷口の周囲に壊疽が起こって容態が悪化。9月14日午前2時15分に死亡した。

ジェームズ・ベンジャミン・パーカー英語版をはじめとした群衆はチョルゴッシュの身柄を確保した。続いて第4旅団、州兵通信隊、警察なども加勢しチョルゴッシュに激しく暴行を加えた。このためチョルゴッシュは裁判まで生存できないのではと思われていた。9月24日、2日間にわたる裁判で自己弁護を拒否したチョルゴッシュは有罪となり、死刑が言い渡された。10月29日、オーバーン刑務所電気椅子による死刑が執行された。チョルゴッシュの動機は政治的な理由であったが、犯行がどのような結果をもたらすと考えていたかは不明である。

マッキンリーの死後、連邦議会シークレットサービスの任務に大統領の警護を追加した。

ジョン・F・ケネディ

[編集]
ケネディが暗殺される直前に撮影された写真
暗殺数分前のジョン・F・ケネディ大統領。左隣に妻ジャクリーンが、1列前にはテキサス州知事ジョン・コナリーとその妻ネリーが同乗している。

第35代大統領ジョン・F・ケネディの暗殺は、1963年11月22日金曜日午後0時30分、テキサス州ダラスディーリー・プラザで行われたパレードの最中に起きた[25]。ケネディは妻のジャクリーン・ケネディテキサス州知事ジョン・コナリー、コナリーの妻ネリー英語版とともに車に乗っていた。これを狙った元米海兵隊員でソ連への亡命歴がある[26]リー・ハーヴェイ・オズワルドは、テキサス教科書倉庫の6階からライフル銃(6.5×52mm弾カルカノM1938)を使用してケネディを射殺した。ケネディは背後から2発狙撃されて、1発目は喉を貫通、2発目は頭部に受けた[27]。また、乗り合わせたコナリーも重傷となったほか、現場に居合わせたジェームズ・ターグ英語版は銃弾が当たって砕けた縁石の小片で顔に軽傷を負った。車はそのままパークランド記念病院へ急行したが、ケネディは午後1時に死亡が確認された。オズワルドはダラス警察英語版に逮捕され、ケネディ大統領暗殺とダラス警察J・D・ティピット巡査殺害の容疑で訴追された。ティピット巡査はケネディ暗殺事件の約1時間後にオーク・クリフ英語版地区の住宅街でオズワルドに射殺されていた。11月24日日曜日、身柄が郡刑務所へ移送される途中のオズワルドは、ダラス警察本部の地下でナイトクラブオーナーのジャック・ルビーに射殺された。ルビーはオズワルドに対する殺人の罪で有罪判決を受けたが、 再審を待っていた1967年に獄死した。

1964年9月、ウォーレン委員会はケネディとティピットの両名がオズワルドによって殺害されたこと、オズワルドは2件の殺人事件で単独犯であったこと、ルビーはオズワルド殺人事件の単独犯であったことを結論づけた。しかしながら1966年から2004年にかけて実施された世論調査では、調査対象となったアメリカ人のうち最大で80%の人々が、ケネディ大統領暗殺には陰謀や隠蔽工作があったと疑っており、陰謀論は今日まで続いている[28][29]

負傷した現職大統領

[編集]

ロナルド・レーガン

[編集]
レーガンが襲撃される直前に撮影された写真
観衆に手を振るロナルド・レーガン大統領。この数秒後に銃撃される。

1981年3月30日、第40代大統領ロナルド・レーガンワシントン・ヒルトン英語版での演説を終えて大統領専用車に乗りこもうとしたとき、テキサス工科大学ジョン・ヒンクリー回転式拳銃(レームRG14 .22LR、いわゆるサタデーナイトスペシャル)を用いて6発の銃弾を発射した。この襲撃でレーガンのほか、ホワイトハウス報道官のジェイムズ・ブレイディ、シークレットサービスのティム・マッカーシー英語版、警察官のトーマス・デラハンティ英語版の計4人が負傷した。レーガンは専用車の側面で跳ね返った弾丸を左脇腹に受け、肋骨骨折して肺に穴が開き、重度の内出血を負った。ジョージ・ワシントン大学病院へ搬送された時点で瀕死の状態だったが、容態が安定し緊急手術を受けた[30]。レーガンは無事回復し、4月11日に退院した[31]。ほかの3名も生還したが、ブレイディは脳の損傷により障害が残った[32]

ヒンクリーはその場で逮捕された。取り調べでヒンクリーは、女優のジョディ・フォスターへの偏執的な愛情から、自分の存在をフォスターに気づいてもらおうと大統領暗殺を企てたと語った。ヒンクリーは精神異常で無罪となり、施設に収容された。暗殺未遂事件から35年後、レーガンが死去して12年後の2016年9月10日、ヒンクリーは精神病院から退院した[33][34]

負傷した元大統領

[編集]

セオドア・ルーズベルト

[編集]
セオドア・ルーズベルトが襲撃される直前に撮影された写真
銃撃される直前、車に乗って演説するセオドア・ルーズベルト元大統領。

セオドア・ルーズベルト元大統領は、大統領を退任した3年後に進歩党から1912年の大統領選挙に出馬した。1912年10月14日ウィスコンシン州ミルウォーキーでの選挙活動中、数週間にわたってルーズベルトを追跡していたニューヨーク出身の酒場経営者ジョン・シュランク英語版が、38口径のコルト・ポリス・ポジティブ・スペシャルでルーズベルトの胸を1発撃った。ルーズベルトの胸ポケットには50ページの演説原稿[注釈 3]が収められており、これに加えて金属製のメガネケースが弾丸の衝撃を吸収し、九死に一生を得た。シュランクの身柄はただちに確保された。ルーズベルトは群衆に自身の無事をアピールし、警察にはシュランクの身柄を保全するよう命じた[35][36]

ルーズベルトは解剖学ハンターの知識から、血を吐いていないため弾丸が肺に達していないと判断し、ただちに病院へ行くよう勧められたが断り、シャツに血が滲んだまま予定通り84分間の演説を行った[37][38]。演説の冒頭では「お集まりの皆様、私が今撃たれたことにお気づきかどうか分かりませんが、ブル・ムース[注釈 4]を倒すにはそれ以上の力が必要なのです」と語った[39][40][41]。その後検査を受け、弾丸は胸筋で止まっていることが分かったが、医師は摘出するよりもそのままにしておく方が危険が少ないと判断した。このため、この弾丸は生涯にわたってルーズベルトの体内に残ったままであった[42]。2週間の療養ののち選挙活動に復帰したルーズベルトであったが、最終的に民主党のウッドロウ・ウィルソンに敗れた[43]

シュランクは裁判にかけられ、「ウィリアム・マッキンリーが夢の中に現れ、ルーズベルトを殺すよう告げた」と主張した。シュランクは精神異常と判断され、1943年に死亡するまで施設に収容された[44]

ドナルド・トランプ

[編集]
画像外部リンク
銃撃直後の流血したトランプ元大統領が拳を振り上げる様子
この画像はフォトジャーナリストのエヴァン・ヴッチが事件発生直後に撮影した写真のうちの一枚であり、報道やSNSなどで拡散された[45][46]

2024年7月13日ペンシルベニア州バトラー近郊で行われた選挙集会で、2024年大統領選挙における共和党の有力候補者であるドナルド・トランプ元大統領が演説中に右耳を撃たれて負傷した[47]。トランプが演説を始めた直後、20歳のトーマス・マシュー・クルックスは演台から約400フィート (120 m)離れた屋上から、自動小銃AR-15を用いて8発の銃弾を発射した[48][49]。この銃撃で集会に参加していた聴衆1名が死亡し、2名が重傷を負った[48]。クルックスはその場でシークレットサービスの対襲撃部隊によって射殺された[50]

一部始終を撮影していた映像には、トランプが右耳を手で押さえながらその場にしゃがみ込み、シークレットサービスのエージェントがトランプを直ちに取り囲む様子が記録されていた。エージェントに助け起こされたトランプは耳や顔に血を流しながら立ち上がり、拳を振り上げて「Fight(戦え)!」と叫んだように見えた[51][52][53]AP通信フォトジャーナリストであるエヴァン・ヴッチは、血まみれのトランプがアメリカ国旗を背景に拳を振り上げている写真を撮影した。この写真はソーシャルメディアで拡散され、事件を象徴する歴史的に重要な場面として広く賞賛された。トランプは病院で手当てを受け、その日のうちに退院した[54]

暗殺を企図された大統領

[編集]

アンドリュー・ジャクソン

[編集]
ジャクソンが襲撃される様子を描いた絵画
ジャクソン大統領を襲撃するリチャード・ローレンス。

エイブラハム・リンカーン

[編集]

ウィリアム・タフト

[編集]
タフト大統領とディアス大統領の写真
アメリカ大統領ウィリアム・タフトとメキシコ大統領ポルフィリオ・ディアスによる首脳会談。1909年10月16日、シウダー・フアレスにて。

ハーバート・フーヴァー

[編集]

フランクリン・ルーズベルト

[編集]
ジュゼッペ・ザンガラの写真
逮捕されたジュゼッペ・ザンガラ(中央)。

ハリー・S・トルーマン

[編集]

ジョン・F・ケネディ

[編集]

リチャード・ニクソン

[編集]

ジェラルド・R・フォード

[編集]

1975年9月に立て続けに発生した2つの暗殺未遂事件は、実行犯がいずれも女性だった。アメリカ合衆国大統領暗殺を企てた既知の事案のうち、女性の実行犯はこの2件のみである。

ジミー・カーター

[編集]

ジョージ・H・W・ブッシュ

[編集]

ビル・クリントン

[編集]

ジョージ・W・ブッシュ

[編集]

バラク・オバマ

[編集]
  • 2008年12月、キャンプ・レジューンに駐留していた20歳のアメリカ海兵隊員コディ・レイ・ブリッティンガムは、「国内外のあらゆる敵から国を守る」という誓いを立てたと記した、署名入りの「趣意書」の中で、ブリッティンガムは次期大統領バラク・オバマを「国内の敵」と呼び、暗殺計画の標的とした[117]。宿舎が捜索され、白人至上主義の資料が記された日記が発見された[118]2010年6月、ブリッティンガムに懲役100ヶ月の刑が言い渡された[119]
  • 2009年4月、トルコイスタンブールで開かれた第2回文明の同盟フォーラムで、偽造されたアルジャジーラの記者証を所持していたシリア出身の男が見つかり、オバマ暗殺計画が発覚した。男はトルコの治安当局に対し、ナイフでオバマを殺害するという計画の詳細を供述した。また、共犯者が3人いたと主張した[120]
  • 2011年11月、21歳のオスカー・ラミロ・オルテガ=エルナンデスは、陰謀論と宗教的過激思想に影響されて、オバマの暗殺を企てた。故郷のアイダホ州からやって来たオルテガ=エルナンデスは、ホワイトハウスに半自動小銃で数発の弾丸を撃ち込んだ。この銃撃で負傷者は出ず、ホワイトハウスの窓ガラスが割れた[121]。オルテガ=エルナンデスは懲役25年の判決を受けた[122]
  • 2011年から2012年にかけて暗躍した極右テロリスト集団FEAR英語版は、オバマ暗殺を含む一連のテロ攻撃を計画した[123]。この計画は、FEARのメンバー4人が殺人容疑で逮捕され、そのうちの1人マイケル・バーネットが司法取引に応じたことで阻止された[124]
  • 2012年10月、コロラド州ウェストミンスターの精神障害者ミッチェル・キューシックが、同州ボルダーで選挙活動中のオバマをショットガンで殺害するつもりだったとセラピストに告白し、逮捕された[125]
  • 2013年4月、有毒物質リシンが混入した手紙を送るという新たな企てが実行された[126]
  • 2013年6月、ニューヨーク州ゴールウェイ英語版のグレンダン・スコット・クロフォードと同州ハドソン英語版のエリック・フェイトという名の2人の白人至上主義者が、自家製の「放射線銃」と称する装置を使用してムスリムのアメリカ人やイスラエルの敵と見なされる人々を殺害しようと計画したため逮捕された。クロフォードは「電灯ヒロシマを搭載した」などと供述した[127]。後に、クロフォードがこの装置をオバマほか数名の標的に対して使用することを示唆したことが明らかとなった[128]
  • 2018年10月、パイプ爆弾が入った小包がワシントンD.C.にあるオバマの自宅に送られた。小包はシークレットサービスによって押収された[129][130]

ドナルド・トランプ

[編集]
  • 2017年9月6日、ノースダコタ州ビスマーク出身の42歳グレゴリー・リー・レインガンは、同州マンダン英語版で開かれた支持者の集会に参加していた第45代大統領ドナルド・トランプの暗殺を企てた。レインガンは製油所からフォークリフトを盗み、大統領の車列へ向かって運転した。フォークリフトが動かなくなると徒歩で逃走したが、追跡していた警察に逮捕された。取り調べでレインガンは、盗んだフォークリフトで大統領専用車をひっくり返してトランプを殺害する意図があったことを認めた。当局は単なる車両窃盗と考えていたため、この供述に驚いた。レインガンは大統領暗殺未遂、フォークリフトの窃盗とその関連容疑、その他当日に犯した数件の犯罪について罪を認めた。その結果レインガンには懲役20年の刑が言い渡されたが、弁護士は「深刻な精神的危機」を指摘した[131][132]
  • 2017年11月、名前が明かされていない過激派組織ISIL関係者の男が、ASEAN首脳会議に出席したトランプを暗殺しようとしたとして、リサール公園フィリピン国家警察英語版に逮捕された。事件の1週間前にシークレットサービスは、フィリピン国内でISILの思想が浸透していて、ソーシャルメディア上で大統領に対する脅迫が多数存在していることから、トランプへの計画的な襲撃を疑っていた。トランプの乗った飛行機が着陸する前、シークレットサービスはソーシャルメディア上でトランプを殺害すると脅迫した男の情報を把握し、すぐにテロリストを追跡して逮捕した。政府は1年間の沈黙ののち、この事件をテレビドキュメンタリーとして公表した[133][134]

ジョー・バイデン

[編集]

暗殺説がある大統領

[編集]

ザカリー・テイラー

[編集]

1850年7月9日、第12代大統領ザカリー・テイラーコレラと考えられる病気で死亡した。7月4日独立記念日の祝賀会でサクランボ牛乳を食した後に発症したとされている[136][137]。テイラーの死後すぐに、これは奴隷制支持派の南部人による毒殺だという話が広まり、21世紀になっても噂されている[138]1991年にテイラーの遺体から採取されたサンプルに中性子放射化分析が実施され、ヒ素濃度が低いことから毒殺説は否定された[139]。政治学者マイケル・パレンティ英語版は、テイラーの死に関する従来の説明に疑問を投げかけている。パレンティは法医学者へのインタビューや報告書に基づき、この分析手法には根本的な誤りがあったと主張している[140][141]

ウォレン・ハーディング

[編集]

1923年6月、第29代大統領ウォレン・ハーディングは、「理解の航海」と称する全国遊説へ出発した。この旅程でハーディングはアラスカを訪問した最初の大統領となった[142]。この頃ワシントンD.C.ではハーディング政権の腐敗の噂が広まり、内閣による違法行為の詳細が記されたメッセージを受け取ったハーディングは深い衝撃を受けた。7月末、アラスカからカナダブリティッシュコロンビアを南下中のハーディングは、重度の食中毒と思われる症状に陥った。ワシントン州シアトルにあるワシントン大学スタジアム[注釈 5]で大勢の観衆を前にスピーチをしたのが、生涯最後の演説となった。オレゴン州ポートランドで予定されていた演説はキャンセルされ、列車は南のサンフランシスコへ向かった。パレスホテル英語版に到着するとハーディングは肺炎を発症し、8月2日午後7時35分、ホテルの部屋で心筋梗塞脳卒中により死亡した。当日、ニューヨーク・タイムズに掲載された公式発表では、「死因は脳卒中」とされた。ハーディングが体調を崩してからちょうど一週間の出来事だった[143]

海軍医らはハーディングが心筋梗塞を起こしたと推測した一方、ハーディング夫妻の主治医でホメオパス軍医チャールズ・ソーヤー英語版は賛同しなかった。ハーディングの妻フローレンス英語版は検死に拒否したため、ハーディングの不貞行為を理由としたフローレンスによる陰謀ではないかという憶測が広まった。アマチュア歴史家で口上手のガストン・ミーンズ英語版は自身の著書で、ハーディングの死を取り巻く状況から毒殺されたのではないかという疑惑が生じたと記している。個人的にも政治的にもハーディングと関係のあった多くの人々は、ミーンズの「ハーディングは弾劾間近だ」という主張によって面目を潰され、その死を歓迎しただろう。

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ かつて南軍が許可したトーマス・N・コンラッドの計画と酷似している[9]
  2. ^ 『わがアメリカのいとこ』
  3. ^ "Progressive Cause Greater Than Any Individual"
  4. ^ 自身の政治姿勢を雄のヘラジカの強さになぞらえた発言。
  5. ^ 現在のハスキー・スタジアム英語版

出典

[編集]
  1. ^ Andrew Jackson narrowly escapes assassination”. History.com. History Channel. 2023年3月25日閲覧。
  2. ^ Ryan J. Reilly; Kelly O'Donnell; Tom Winter; Jonathan Dienst (2024年7月14日). “Trump rally shooter identified as 20-year-old Pennsylvania man”. NBC News. https://www.nbcnews.com/politics/politics-news/trump-rally-shooter-identified-rcna161757 2024年7月14日閲覧。 
  3. ^ a b Clarke 1982.[要ページ番号]
  4. ^ “9-65.140 – Publicity Concerning Threats Against Government Officials”. Justice Manual. United States Department of Justice. (2015年2月19日). オリジナルの2019年11月29日時点におけるアーカイブ。. https://www.justice.gov/jm/jm-9-65000-protection-government-officials#9-65.140. "Of the individuals who come to the Secret Service's attention as creating a possible danger to one of their protectees, approximately 75 percent are mentally ill." 
  5. ^ Freedman 1983.[要ページ番号]
  6. ^ Meloy, J. Reid; Sheridan, Lorraine; Hoffman, Jens (2008). Stalking, Threatening, and Attacking Public Figures: A Psychological and Behavioral Analysis. Oxford University Press. p. 111. ISBN 978-0-19-532638-3 
  7. ^ “64”. Public Laws of the Sixty-fourth Congress of the United States. United States Code. 39. https://uscode.house.gov/statviewer.htm?volume=39&page=919 
  8. ^ Donald (1996), pp. 586–587.
  9. ^ Donald (1996), p. 587.
  10. ^ Harrison (2000), pp. 3–4.
  11. ^ Donald (1996), pp. 594–597.
  12. ^ Lincoln Papers: Lincoln Assassination: Introduction”. Memory.loc.gov. 2013年10月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年10月14日閲覧。
  13. ^ Tarbell, Ida Minerva (1920). The Life of Abraham Lincoln. 4. Digital Scanning. p. 40. ISBN 978-1-58218-125-7. https://books.google.com/books?id=2TDhpaY4aHYC&pg=RA1-PA34 
  14. ^ a b Fox, Richard (2015). Lincoln's Body: A Cultural History. W. W. Norton & Company. ISBN 978-0-393-24724-4 
  15. ^ Smith, Adam (2015年7月8日). “With a smile on his face”. タイムズ文芸付録. 2024年8月9日閲覧。
  16. ^ a b Now He Belongs to the Ages - BackStory with the American History Guys”. バージニア人文科学財団英語版. 2024年8月9日閲覧。 “Abraham Lincoln died, according to press reports, with a smile on his face. "I had never seen upon the president's face an expression more genial and pleasings," wrote a New York Times reporter.”
  17. ^ Abel, E. Lawrence (2015). A Finger in Lincoln's Brain: What Modern Science Reveals about Lincoln, His Assassination, and Its Aftermath. ABC-CLIO. Chapter 14 
  18. ^ President Lincoln's Thoughts on April 14, 1865”. C-SPAN. 2024年8月9日閲覧。 “When he finally gave up the struggle for life at 7:22 A.M., his face was fixed in a smile, according to one bedside witness, treasury official, a smile that seemed almost an effort of life. Lincoln has passed on smoothly and contentedly, his facial expression suggesting that inner peace that prevailed as his final state of mind.”
  19. ^ Assassinations That Changed The World, History Channel
  20. ^ OUR GREAT LOSS; The Assassination of President Lincoln.DETAILS OF THE FEARFUL CRIME.Closing Moments and Death of the President.Probable Recovery of Secretary Seward. Rumors of the Arrest of the Assassins.The Funeral of President Lincoln to Take Place Next Wednesday. Expressions of Deep Sorrow Through-out the Land. OFFICIAL DISPATCHES. THE ASSASSINATION. Further Details of the Murder Narrow Recape of Secretary Stanton Measures Taken is Prevent the Escape of the Assassin of the President. LAST MOMENTS OF THE PRESIDENT. Interesting Letter from Maunsell B. Field Esq. THE GREAT CALAMITY」『The New York Times』1865年4月17日。ISSN 0362-43312016年4月12日閲覧。
  21. ^ Hay, John (1915). The Life and Letters of John Hay Volume 1 (quote's original source is Hay's diary which is quoted in "Abraham Lincoln: A History", Volume 10, Page 292 by John G. Nicolay and John Hay). Houghton Mifflin Company. https://archive.org/stream/lifeandlettersof007751mbp/lifeandlettersof007751mbp_djvu.txt 
  22. ^ Millard (2011), pp. 189, 312
  23. ^ Resnick, Brian (2015年10月4日). “This Is the Brain that Shot President James Garfield”. The Atlantic. https://www.theatlantic.com/politics/archive/2015/10/this-is-the-brain-that-shot-president-james-garfield/454212/ 2022年7月24日閲覧。 
  24. ^ Peskin, Allan (1978). Garfield. Kent State University Press. p. 588. ISBN 0-87338-210-2. https://archive.org/details/garfieldbiograph0000pesk 
  25. ^ Stokes (1979), pp. 21
  26. ^ Lee Harvey Oswald” (英語). Biography.com. 2017年6月26日閲覧。
  27. ^ Doctors attending to Kennedy reported.” (1963年11月). 2018年5月15日閲覧。
  28. ^ Langer, Gary (2003年11月16日). “John F. Kennedy's Assassination Leaves a Legacy of Suspicion”. ABC NEWS (ABCニュース). オリジナルの2011年1月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110126060733/https://abcnews.go.com/images/pdf/937a1JFKAssassination.pdf 2010年5月16日閲覧。 
  29. ^ Murphy, Jarrett. “"40 Years Later: Who Killed JFK?"”. CBSニュース. 2003年11月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年11月17日閲覧。
  30. ^ “Remembering the Assassination Attempt on Ronald Reagan”. CNN. (2001年3月30日). オリジナルの2019年12月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20191219043617/http://transcripts.cnn.com/TRANSCRIPTS/0103/30/lkl.00.html 2007年12月19日閲覧。 
  31. ^ D'Souza, Dinesh (2004年6月8日). “Purpose”. National Review. オリジナルの2009年2月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090203070233/http://nationalreview.com/comment/dsouza200406080824.asp 2009年2月16日閲覧。 
  32. ^ “Medical examiner rules James Brady's death a homicide”. Washington Post. (2014年8月8日). オリジナルの2016年3月28日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160328024710/https://www.washingtonpost.com/local/crime/james-bradys-death-ruled-homicide-by-dc-medical-examiner/2014/08/08/686de224-1f41-11e4-82f9-2cd6fa8da5c4_story.html 2017年6月24日閲覧。 
  33. ^ “John Hinckley Jr. to begin living full-time in Virginia Sept. 10”. Fox News. (2016年9月12日). https://www.foxnews.com/us/john-hinckley-jr-leaves-dc-mental-hospital-for-virginia 2018年12月6日閲覧。 
  34. ^ “Life and career of former President Ronald Reagan”. New York Daily News. (2022年6月5日). https://www.nydailynews.com/photos/ny-president-ronald-reagan-life-career-20210605-lge6set755d2pepvtmuy3vkaei-photogallery.html 2022年7月12日閲覧。 
  35. ^ The Bull Moose and related media”. 2010年3月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年3月8日閲覧。
  36. ^ Oliver E. Remey; Henry F. Cochems; Wheeler P. Bloodgood (1912). The Attempted Assassination of Ex-President Theodore Roosevelt. Milwaukee, Wisconsin: The Progressive Publishing Company. p. 192. http://www.gutenberg.org/ebooks/21261 
  37. ^ Medical History of American Presidents”. Doctor Zebra. 2010年9月14日閲覧。
  38. ^ Gurda, John (2016). Cream City Chronicles: Stories of Milwaukee's Past. Wisconsin Historical Society Press. pp. 189-191. ISBN 978-0-870-20758-7 
  39. ^ Brown, R. J. (2013年2月1日). “Teddy Roosevelt Shot by Anarchist Manuscript of Speech Saves His Life”. HISTORYBUFF.COM. 2015年4月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月5日閲覧。
  40. ^ It Takes More Than That to Kill a Bull Moose: The Leader and The Cause”. Theodore Roosevelt Association. 2015年10月14日閲覧。
  41. ^ Home - Theodore Roosevelt Association”. Theodoreroosevelt.org (2013年2月1日). 2013年1月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年10月14日閲覧。
  42. ^ Roosevelt Timeline”. Theodore Roosevelt Association. 2010年9月14日閲覧。
  43. ^ Justice Story: Teddy Roosevelt survives assassin when bullet hits folded speech in his pocket”. Daily News. 2013年1月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年10月14日閲覧。
  44. ^ John Schrank”. Classic Wisconsin. 2016年4月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年5月6日閲覧。
  45. ^ Helen, Sullivan (2024年7月15日). “'The job is all about anticipation': behind the lens of the defining photo of the Trump rally shooting”. The Guardian. ISSN 1756-3224. https://www.theguardian.com/us-news/article/2024/jul/15/trump-rally-shooting-photographer-evan-vucci-story 2024年8月19日閲覧。 
  46. ^ Barr, Jeremy (2024年7月14日). “'I have to do my job': Photojournalists capture images of Trump shooting”. The Washington Post. https://www.washingtonpost.com/style/media/2024/07/14/trump-shooting-photojournalists/ 2024年8月19日閲覧。 
  47. ^ Biden condemns 'sick' attempt on Trump's life”. BBC (2024年7月14日). 2024年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年7月14日閲覧。
  48. ^ a b Barnes, Julian E.; Gold, Michael; Levien, Simon J. (2024年7月13日). “Live Updates: Trump 'Safe' After Shooting at Rally; Suspect Killed”. The New York Times. ISSN 0362-4331. オリジナルの2024年7月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20240713223053/https://www.nytimes.com/live/2024/07/13/us/biden-trump-election 2024年7月13日閲覧。 
  49. ^ “FBI identifies Thomas Matthew Crooks as 'subject involved' in Trump rally shooting”. Reuters. (2024年7月14日). オリジナルの2024年7月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20240714061941/https://www.reuters.com/world/us/fbi-identifies-thomas-matthew-crooks-subject-involved-trump-rally-shooting-2024-07-14/ 2024年7月14日閲覧。 
  50. ^ Statement From U.S. Secret Service Director Kimberly Cheatle | United States Secret Service”. www.secretservice.gov. シークレットサービス (2024年7月15日). 2024年7月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月15日閲覧。
  51. ^ Orie, Amarachi; Liakos, Chris; Millman, Andrew (2024年7月14日). “What was said on stage in the seconds after Trump was shot”. CNN. オリジナルの2024年7月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20240714213547/https://edition.cnn.com/2024/07/14/politics/what-was-said-on-stage-after-trump-was-shot/index.html 2024年7月14日閲覧。 
  52. ^ Layne, Nathan; Larson, Soren (2024年7月13日). “Pop, pop, pop, then a bloodied Trump rushed from election rally”. Reuters. https://www.reuters.com/world/us/pop-pop-pop-then-bloodied-trump-rushed-election-rally-2024-07-14/ 2024年7月13日閲覧。 
  53. ^ Baker, Peter (2024年7月14日). “An Assassination Attempt That Seems Likely to Tear America Further Apart”. The New York Times. ISSN 0362-4331. オリジナルの2024年7月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20240715002917/https://www.nytimes.com/2024/07/14/us/politics/trump-shooting-violence-divisions.html 2024年7月15日閲覧。 
  54. ^ Barnes, Julian E.; Gold, Michael; Levien, Simon J. (2024年7月13日). “Live Updates: Trump 'Safe' After Shooting at Rally; Suspect Killed”. The New York Times. ISSN 0362-4331. オリジナルの2024年7月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20240713223053/https://www.nytimes.com/live/2024/07/13/us/biden-trump-election 2024年7月13日閲覧。 
  55. ^ Trying to Assassinate President Jackson”. American Heritage (2007年1月30日). 2008年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年5月6日閲覧。
  56. ^ Flood, Charles Bracelen (2010). 1864: Lincoln at the Gates of History. Simon & Schuster Lincoln Library. ISBN 1416552286. pp. 266–267.
  57. ^ Sandburg, Carl (1954). Abraham Lincoln: The Prairie Years and the War Years One-Volume Edition. Harcourt. pp. 599–600. ISBN 0-15-602611-2.
  58. ^ Harris 2009, p. 1.
  59. ^ Harris 2009, p. 2.
  60. ^ Harris 2009, p. 14.
  61. ^ Harris 2009, p. 15.
  62. ^ Hampton 1910
  63. ^ van Wyk 2003, pp. 440–446.
  64. ^ “Mr. Taft's Peril; Reported Plot to Kill Two Presidents”. Daily Mail (London). (1909年10月16日). ISSN 0307-7578 
  65. ^ Hammond 1935, pp. 565-66.
  66. ^ Harris 2009, p. 213.
  67. ^ A Look At The Assassination Attempt Against William Taft” (英語). GRUNGE (2021年2月8日). 2021年10月18日閲覧。
  68. ^ “TALE OF A THREAT AGAINST TAFT'S LIFE; Mysterious Stranger Tells "Aunt Delia" Torrey He Overheard Plot in Boston.” (英語). The New York Times. (1910年10月9日). ISSN 0362-4331. https://www.nytimes.com/1910/10/09/archives/tale-of-a-threat-against-tafts-life-mysterious-stranger-tells-aunt.html 2024年8月24日閲覧。 
  69. ^ Jeansonne, Glen (2012). The Life of Herbert Hoover: Fighting Quaker, 1928-1933. New York: Palgrave Macmillan. pp. 44–45. ISBN 978-1-137-34673-5. https://books.google.com/books?id=0SDIAAAAQBAJ&q=Good+will+tour 2016年5月20日閲覧。 
  70. ^ Travels of President Herbert C. Hoover”. U.S. Department of State Office of the Historian. 2016年3月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年2月5日閲覧。
  71. ^ The Museum Exhibit Galleries, Gallery 5: The Logical Candidate, The President-Elect”. West Branch, Iowa: Herbert Hoover Presidential Library and Museum. 2016年3月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年2月24日閲覧。
  72. ^ National Affairs: Hoover Progress”. www.time.com. TIME (1928年12月24日). 2013年6月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月24日閲覧。
  73. ^ Bohemian National Cemetery: Mayor Anton Cermak”. www.graveyards.com. 2016年8月9日時点のオリジナルよりアーカイブ2017年6月24日閲覧。
  74. ^ Sam 'Momo' Giancana - Live and Die by the Sword”. Crime Library. 2007年2月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年5月7日閲覧。
  75. ^ Mayle, Paul D. (1987). Eureka Summit: Agreement in Principle and the Big Three at Tehran, 1943. University of Delaware Press. p. 57. ISBN 978-0-87413-295-3. https://books.google.com/books?id=JJtfSJrtPlAC 2016年3月27日閲覧. "[...] the Russians had uncovered a plot - German agents in Tehran had learned of Roosevelt's presence and were making plans for acion that was likely to take the form of an assassination attempt on one or more of the Big Three while they were in transit between meetings." 
  76. ^ Tri City Herald (1972年12月1日). “"Jews sent President Truman letter bombs, book tells"”. Google News. 2013年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年12月11日閲覧。
  77. ^ Hibbits, Bernard. “Presidential Pardons”. Jurist: The Legal Education Network. University of Pittsburgh School of Law. 2007年11月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年12月6日閲覧。
  78. ^ “Kennedy presidency almost ended before he was inaugurated”. The Blade (Toledo, Ohio). (2003年11月21日). オリジナルの2007年9月30日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20070930030120/http://toledoblade.com/apps/pbcs.dll/article?AID=%2F20031121%2FNEWS08%2F111210127 2007年5月6日閲覧。 
  79. ^ a b Oliver, Willard; Marion, Nancy E. (2010). Killing the President: Assassinations, Attempts, and Rumored Attempts on U.S. Commanders-in-Chief: Assassinations, Attempts, and Rumored Attempts on U.S. Commanders-in-Chief. ABC-CLIO. ISBN 978-0-313-36475-4. https://books.google.com/books?id=M9_BSXV_s_4C&q=richard+paul+pavlick&pg=PA164 
  80. ^ Hunsicker, A. (2007). The Fine Art of Executive Protection: Handbook for the Executive Protection Officer. Universal-Publishers. ISBN 978-1-58112-984-7. https://books.google.com/books?id=nxDyGK-iLiYC&q=richard+paul+pavlick&pg=PA48 
  81. ^ Ling, Peter J. (2013). John F. Kennedy. Routledge. ISBN 978-1-134-71325-7. https://books.google.com/books?id=3UXhAQAAQBAJ&q=richard+paul+pavlick&pg=PA89 
  82. ^ Ayton, Mel (2014年). “Arthur Bremer: Attempted 1972 Nixon Assassination”. History on the Net. 2022年7月25日時点のオリジナルよりアーカイブ2022年7月24日閲覧。
  83. ^ Man Who Shot George Wallace To Be Freed”. CBS (2007年8月23日). 2017年9月24日閲覧。
  84. ^ Gibson, Bryan R. (2016), Sold Out? US Foreign Policy, Iraq, the Kurds, and the Cold War, Facts on File Crime Library, Springer, p. 136, ISBN 978-1-137-51715-9 
  85. ^ 9/11 report notes”. 9/11 Commission. 2016年4月12日時点のオリジナルよりアーカイブ2007年5月6日閲覧。
  86. ^ Alexander, Andrew (1983年12月19日). “Police, CIA Thwarted 1974 Plot to Kill Ford”. Atlanta Constitution. https://www.cia.gov/readingroom/docs/CIA-RDP90-00552R000201990004-8.pdf 2024年4月11日閲覧。 
  87. ^ Smith, Richard Norton (2023). An ordinary man: the surprising life and historic presidency of Gerald R. Ford (First ed.). New York: Harper, An Imprint of Harper Collins. p. 379. ISBN 978-0-06-268416-5. OCLC on1335403341. https://www.worldcat.org/title/on1335403341 
  88. ^ Shadowland: T is for Terror」『Newsweek』2003年2月26日。2017年11月19日閲覧。
  89. ^ 1975: Ford assassination attempt thwarted”. History Channel. 2009年5月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年5月6日閲覧。
  90. ^ 1975: President Ford survives second assassination attempt”. History Channel. 2018年1月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年5月8日閲覧。
  91. ^ The Imperial Presidency 1972-1980”. 1999年4月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年5月8日閲覧。
  92. ^ a b c Nation: Skid Row Plot”. TIME (1979年5月21日). 2013年8月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月23日閲覧。
  93. ^ "The Plot to Kill Carter", Newsweek May 21, 1979.
  94. ^ a b "Alleged Carter death plot: man charged", The Sydney Morning Herald May 10, 1979.
  95. ^ Harvey / Carter Assassination Plot (CBS News)”. Vanderbilt Television News Archive (1979年5月29日). 2016年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ2017年6月24日閲覧。
  96. ^ John Hinckley Jr.: Hunting Carter and Reagan”. History on the Net (2017年4月25日). 2018年8月26日閲覧。
  97. ^ Taubman, Philip (1981年4月12日). “Investigators Think Hinckley Stalked Carter”. The New York Times. https://www.nytimes.com/1981/04/12/us/investigators-think-hinckley-stalked-carter.html 2018年8月26日閲覧。 
  98. ^ Assassination | the Long Road to War | FRONTLINE | PBS”. PBS. 2024年8月23日閲覧。
  99. ^ Von Drehle, David; Smith, R. Jeffrey (1993年1月27日). “U.S. Strikes Iraq for Plot to Kill Bush”. The Washington Post. https://www.washingtonpost.com/wp-srv/inatl/longterm/iraq/timeline/062793.htm 2011年2月14日閲覧。 
  100. ^ The Bush assassination attempt”. Department of Justice/FBI Laboratory report. 2007年4月2日時点のオリジナルよりアーカイブ2007年5月6日閲覧。
  101. ^ “CIA SAYS IRAQI PLOT TO KILL BUSH MAY BE FICTION”. Chicago Tribune. (1993年5月27日). https://www.chicagotribune.com/news/ct-xpm-1993-05-27-9305270298-story.html 
  102. ^ SECTION D: THE BUSH ASSASSINATION ATTEMPT”. 司法省監察総監室FBIラボ. 2024年8月23日閲覧。
  103. ^ “Unemployed Man Is Charged With Threat to Kill President”. The New York Times. (1994年2月19日). オリジナルの2017年5月17日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170517033656/http://www.nytimes.com/1994/02/19/us/unemployed-man-is-charged-with-threat-to-kill-president.html 
  104. ^ Summary Statement of Facts (The September 12, 1994 Plane Crash and The October 29, 1994 Shooting) Background Information on the White House Security Review”. 2007年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ2007年5月6日閲覧。
  105. ^ “Court Sentences Man to 40 Years For Trying to Kill the President” (英語). The New York Times. AP通信. (1995年6月30日). ISSN 0362-4331. https://www.nytimes.com/1995/06/30/us/court-sentences-man-to-40-years-for-trying-to-kill-the-president.html 2024年7月14日閲覧。 
  106. ^ Wright, Lawrence (2011). The looming tower: Al-Qaeda and the road to 9/11 (1 ed.). New York. ISBN 978-0-525-56436-2. OCLC 761224415 
  107. ^ Leonard, Tom (2009年12月22日). “Osama bin Laden came within minutes of killing Bill Clinton”. The Telegraph. 2009年12月25日時点のオリジナルよりアーカイブ2017年6月16日閲覧。
  108. ^ Karl de Vries, Evan Perez and Shimon Prokupecz (2018年10月24日). “‘Act of terror’: Bombs sent to CNN, Clintons, Obamas, Holder” (英語). CNN. 2024年8月25日閲覧。
  109. ^ Explosive devices sent to Obama, Clintons; CNN evacuated”. Indianapolis Star (2018年10月24日). 2024年8月23日閲覧。
  110. ^ Jason Hanna; Evan Perez; Scott Glover; Steve Almasy; Ray Sanchez (2018年10月26日). “Bomb suspect arrest: What we know about Cesar Sayoc”. CNN. オリジナルの2018年10月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20181026165125/https://www.cnn.com/2018/10/26/politics/suspicious-packages-arrest/index.html 2018年10月26日閲覧。 
  111. ^ Weiser, Benjamin; Ali Watkins (2019年8月5日). “Cesar Sayoc, Who Mailed Pipe Bombs to Trump Critics, Is Sentenced to 20 Years”. The New York Times. オリジナルの2022年5月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220527073354/https://www.nytimes.com/2019/08/05/nyregion/cesar-sayoc-sentencing-pipe-bombing.html 2020年1月2日閲覧。 
  112. ^ THE CASE OF THE FAILED HAND GRENADE ATTACK: Man Who Tried to Assassinate President Convicted Overseas”. FBI (2006年1月11日). 2007年4月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月23日閲覧。
  113. ^ “Bush grenade attacker gets life”. CNN. (2006年1月11日). オリジナルの2008年7月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20080704105908/http://www.cnn.com/2006/WORLD/europe/01/11/georgia.grenade/index.html 2007年5月6日閲覧。 
  114. ^ The case of the failed hand grenade attack”. FBI Press Room (January 11, 2006). April 11, 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。May 6, 2007閲覧。
  115. ^ “FBI foiled terror plot to kill George W Bush”. BBC. (2022年5月24日). https://www.bbc.com/news/world-us-canada-61569650 2022年5月25日閲覧。 
  116. ^ Benner, Katie (2022年5月25日). “Iraqi Man Helped Plot to Kill Bush, F.B.I. Says” (英語). The New York Times. ISSN 0362-4331. https://www.nytimes.com/2022/05/24/us/politics/george-bush-plot-isis.html 2024年8月23日閲覧。 
  117. ^ Jeff Zeleny; Jim Rutenberg (2009年12月5日). “Threats Against Obama Spiked Early”. The New York Times. https://www.nytimes.com/2009/12/06/us/06threat.html 
  118. ^ Marine's Arrest Again Raises Issue of Extremists in the Military” (英語). Southern Poverty Law Center. 2023年11月30日閲覧。
  119. ^ “Ex-Marine gets 100 months for threatening Obama”. Wilmington Star-News. AP通信. (2010年6月15日). オリジナルの2021年6月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210605193355/https://www.starnewsonline.com/article/NC/20100615/News/605058297/WM 2021年6月5日閲覧。 
  120. ^ Ed Henry (2009年4月6日). “Plot to assassinate Obama foiled in Turkey”. CNN. オリジナルの2016年7月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160703004736/http://www.edition.cnn.com/2009/POLITICS/04/06/turkey.assassination.plot/index.html 2016年6月21日閲覧。 
  121. ^ Leonnig, Carol D. (2014年9月27日). “Secret Service fumbled response after gunman hit White House residence in 2011”. The Washington Post. オリジナルの2016年11月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20161108004003/https://www.washingtonpost.com/politics/secret-service-stumbled-after-gunman-hit-white-house-residence-in-2011/2014/09/27/d176b6ac-442a-11e4-b437-1a7368204804_story.html 2014年12月14日閲覧。 
  122. ^ “Oscar Ramiro Ortega-Hernandez, man who shot at White House, gets 25 years”. Fox News. AP通信. (2014年3月31日). オリジナルの2015年1月11日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150111232958/http://www.foxnews.com/politics/2014/03/31/oscar-ramiro-ortega-hernandez-man-who-shot-at-white-house-gets-25-years/ 2017年3月10日閲覧。 
  123. ^ Shapiro, Eliza (2012年8月30日). “FEAR Militia Group Faces the Music”. The Daily Beast. http://www.thedailybeast.com/articles/2012/08/30/fear-militia-group-faces-the-music.html 2013年5月25日閲覧。 
  124. ^ Martinez, Michael; Valencia, Nick (2012年9月11日). “5 more charged in anti-government militia plot linked to Fort Stewart”. CNN. http://www.cnn.com/2012/09/11/us/georgia-soldiers-plot/index.html 2013年5月25日閲覧。 
  125. ^ “Colorado man charged with threatening to kill president said Obama doing a good job”. National Post. ロイター. (2012年11月14日). https://nationalpost.com/news/colorado-man-charged-with-threatening-to-kill-president-said-he-thinks-obama-was-doing-a-good-job 2022年1月4日閲覧。 
  126. ^ Payne, Ed; Smith, Matt; Cratty, Carol (2013年4月19日). “FBI confirms letters to Obama, others contained ricin”. CNN. オリジナルの2013年8月25日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130825152537/http://www.cnn.com/2013/04/18/politics/tainted-letter-intercepted/index.html 2013年10月14日閲覧。 
  127. ^ Morlin, Bill (2013年6月22日). “Klansman and accomplice charged for building radiation gun”. Salon. https://www.salon.com/2013/06/22/klansman_and_friend_shopped_around_wmd_plans_to_jewish_organizations_partner/ 
  128. ^ “White supremacist gets 30 years prison for his plot to kill Muslims and Obama”. The Guardian. (2016年12月19日). https://www.theguardian.com/us-news/2016/dec/19/death-ray-plot-muslims-obama-glendon-scott-crawford-new-york 
  129. ^ Kennedy, Merrit (2018年10月24日). “Apparent 'Pipe Bombs' Mailed To Clinton, Obama And CNN”. NPR. https://www.npr.org/2018/10/24/660161491/u-s-intercepts-suspicious-packages-addressed-to-clinton-and-obama 2018年10月25日閲覧。 
  130. ^ “"Potentially destructive devices" sent to Clinton, Obama, CNN prompt massive response”. CBS News. (2018年10月24日). https://www.cbsnews.com/live-news/suspicious-packages-pipe-bomb-clinton-obama-cnn-nyc-wasserman-schultz-office-live-updates/ 2018年10月25日閲覧。 
  131. ^ Bonvillian, Crystal (2018年12月11日). “North Dakota man pleads guilty to using stolen forklift in Trump assassination attempt”. The Atlanta Journal-Constitution. https://www.ajc.com/news/national/north-dakota-man-pleads-guilty-using-stolen-forklift-trump-assassination-attempt/ZdOibaDSJ9D6TdWm4H0yRJ/ 
  132. ^ Wang, Amy B. (December 3, 2018-12-03). “Inside one man's failed plan to use a stolen forklift to assassinate Trump”. The Washington Post. https://www.washingtonpost.com/nation/2018/12/03/inside-one-mans-failed-plan-use-stolen-forklift-assassinate-trump/ 
  133. ^ Stern, Marlow (2018年10月12日). “How the Secret Service Foiled an Assassination Plot Against Trump by ISIS”. The Daily Beast. https://www.thedailybeast.com/how-the-secret-service-foiled-an-assassination-attempt-against-trump-by-isis? 
  134. ^ Hutzler, Alexandra (2018年10月15日). “Donald Trump Assassination Attempt by ISIS Operatives Was Foiled by Secret Service Last Year”. Newsweek. https://www.newsweek.com/isis-operatives-tried-assassinating-trump-secret-service-stopped-them-1170592 
  135. ^ Stelloh, Tim; Barnes, Daniel; Arkin, Daniel (2023年5月24日). “Driver who crashed at White House told officials he was prepared to kill Biden and 'seize power'”. NBC News. https://www.nbcnews.com/news/us-news/driver-white-house-crash-kill-biden-seize-power-nazis-rcna85905 2023年10月5日閲覧。 
  136. ^ Bauer, pp. 314–316.
  137. ^ Bauer, p. 316.
  138. ^ Willard and Marion (2010). Killing the President. p. 188 
  139. ^ President Zachary Taylor and the Laboratory: Presidential Visit from the Grave”. Oak Ridge National Laboratory. 2013年7月10日時点のオリジナルよりアーカイブ2021年12月13日閲覧。
  140. ^ Parenti, Michael (1998). “The strange death of president Zachary Taylor: A case study in the manufacture of mainstream history”. New Political Science 20 (2): 141–158. doi:10.1080/07393149808429819. 
  141. ^ Parenti, Michael (1999). History as Mystery. City Lights Books. pp. 209–239. ISBN 978-0-87286-357-6. https://books.google.com/books?id=7bXtGrn1xT4C&pg=PA209 
  142. ^ Reeve, W. Paul (1995年7月). “President Harding's 1923 Visit to Utah”. History Blazer. 2015年5月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月14日閲覧。
  143. ^ “Harding a Farm Boy Who Rose by Work”. The New York Times. (1923年8月3日). オリジナルの2009年10月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20091015045948/http://nytimes.com/learning/general/onthisday/bday/1102.html 2007年7月21日閲覧。 

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]