景浦賢一
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 愛媛県松山市 |
生年月日 | 1923年6月26日 |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 二塁手、三塁手 |
プロ入り | 1941年 |
初出場 | 1941年7月18日 |
最終出場 | 1943年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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景浦 賢一(かげうら けんいち、1923年6月26日 - 没年不明)は、愛媛県松山市[1]出身のプロ野球選手。ポジションは二塁手、三塁手。
大阪タイガース、阪神軍で活躍した景浦將の実弟[1]。
来歴・人物
[編集]松山商業(現・愛媛県立松山商業高等学校)在学中は、甲子園出場は無かった。松山商業卒業後、1941年3月20日に朝日軍に入団[1]。同年7月18日の大洋戦(甲子園球場)でデビューし、初打席初安打をマークした。しかし、デビュー戦でも失策して相手に決勝点を与えたように、守備に難があり、レギュラー定着には至らなかった(1942年には38試合出場で、8失策を記録している)。1943年シーズン終了後、現役引退した。
引退後の1945年に兄・將が戦死(戦病死とも餓死とも伝わる)して、松山の実家に骨壺が届けられたが、甥の景浦隆男と共にインタビューで「石ころが3つ入っていた」「こんなものが人ひとりの命なのか……」と語っている。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1941 | 朝日 | 13 | 16 | 16 | 0 | 7 | 0 | 0 | 0 | 7 | 2 | 0 | -- | 0 | -- | 0 | -- | 0 | 2 | -- | .438 | .438 | .438 | .876 |
1942 | 38 | 70 | 59 | 2 | 8 | 1 | 0 | 0 | 9 | 1 | 2 | 1 | 1 | -- | 9 | -- | 1 | 9 | -- | .136 | .261 | .153 | .414 | |
1943 | 14 | 21 | 20 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | 1 | -- | 0 | 5 | -- | .000 | .048 | .000 | .048 | |
通算:2年 | 65 | 107 | 95 | 2 | 15 | 1 | 0 | 0 | 16 | 3 | 2 | 1 | 1 | -- | 10 | -- | 1 | 16 | -- | .158 | .245 | .168 | .413 |
背番号
[編集]- 7 (1941年 - 1943年春)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 景浦賢一 - NPB.jp 日本野球機構