景山甚右衛門
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景山 甚右衛門(甚右衞門、かげやま じんうえもん、1855年5月29日(安政2年4月14日[1])- 1937年(昭和12年)10月18日[2][3])は、明治から大正期の実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]讃岐国多度郡多度津村仲之[4](香川県[2]多度郡多度津町を経て現仲多度郡多度津町[4])で、豪商「大隅屋」理右衛門[注釈 1]の長男として生まれる[4]。漢学を修めた[2][3]。1873年(明治6年)6月、家督を相続した[1][5]。戸長、連合町村会議員を務めた[2][3]。
1890年(明治23年)讃岐鉄道を設立し社長に就任[4]。1898年(明治31年)西讃電灯、讃岐電気を設立[4]。1910年(明治43年)徳島県三好郡三縄(現三好市)に水力発電所を設け、社名を四国水力電気に改称[4]。その他、多度津銀行頭取、多度津繁栄社長、讃岐紡績取締役、讃岐農工銀行取締役などを務めた[1][2][3]。1924年(大正13年)関係企業の役員を辞任し、米穀肥料商を営んだ[5]。
三崎亀之助の辞任に伴い1896年(明治29年)12月に実施された第4回衆議院議員総選挙香川県第4区補欠選挙で初当選[6][7]。以後、第10回総選挙まで3回再選され、衆議院議員に通算4期在任した[2][3][4][5]。
国政選挙歴
[編集]- 第2回衆議院議員総選挙(香川県第4区、1892年2月、国民協会)次点落選[8]
- 第3回衆議院議員総選挙(香川県第4区、1894年3月、国民協会)次点落選[8]
- 第4回衆議院議員総選挙補欠選挙(香川県第4区、1896年12月、国民協会)当選[6]
- 第5回衆議院議員総選挙(香川県第4区、1898年3月、国民協会)次点落選[9]
- 第8回衆議院議員総選挙(香川県郡部、1903年3月、立憲政友会)当選[10][10]
- 第9回衆議院議員総選挙(香川県郡部、1904年3月、立憲政友会)当選[10]
- 第10回衆議院議員総選挙(香川県郡部、1908年5月、立憲政友会)当選[11]
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『人事興信録 第4版』か91頁、『人事興信録 第8版』カ54頁では伊右衛門。
出典
[編集]- ^ a b c 『人事興信録 第4版』か91頁。
- ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』169頁。
- ^ a b c d e 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』123頁。
- ^ a b c d e f g 『香川県人物・人名事典』26頁。
- ^ a b c 『人事興信録 第8版』カ54頁。
- ^ a b 『第一回乃至第十九回総選挙衆議院議員当選回数調』236頁。
- ^ 『官報』第4060号、明治30年1月14日。
- ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』53頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』109頁。
- ^ a b c 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』32頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』72頁。