時國康夫
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時國 康夫(ときくに やすお、1926年5月11日 - 1998年8月11日)は日本の裁判官。神奈川県生まれ[1]。キリンビール社長の時國益夫は父[2]。
概要
[編集]1950年に東京大学法学部卒業[3]。1952年に宇都宮地裁判事補に就任[1][3]。1958年から1960年にかけて、ハーバード・ロースクールとミシガン・ロースクールに留学[3]。当時、ハーバードには東京大学から芦部信喜が留学しており、二人は互いに親交を深めて、日本における憲法訴訟論を語り合った[3]。その後、芦部とともに1961年から司法研修所において、憲法訴訟についてのジョイント・セミナーを実施した[3]。
留学の成果を論文で次々と発表し、裁判官としては主に刑事畑を歩く[3]。1966年から旭川地裁判事を務めて猿払事件を担当し、1968年3月25日に地裁判決を出した[1][4]。1968年4月から最高裁調査官となり、高田事件等に関与した[1][5]。1973年4月に東京高裁判事となり、西山事件や四畳半襖の下張事件を担当した[5][6]。1979年10月に旭川地裁所長、1981年11月に東京高裁判事、1986年7月に千葉地裁所長を経て、1988年1月に東京高裁刑事部総括判事を務め、ロッキード事件全日空ルートやロス疑惑を担当した[5][6]。1990年4月に広島高裁長官を務め、1991年5月に定年退官した[5][6][7]。
1998年8月に死去[8]。
脚注
[編集]- ^ a b c d 日本民主法律家協会司法制度委員会 1990, p. 48.
- ^ “時国 益夫(元キリンビール社長、時国康夫・東京高裁部総括判事の父)死去”. 読売新聞. (1989年9月2日)
- ^ a b c d e f 渡辺康行 2017, p. 225.
- ^ 渡辺康行 2017, pp. 225–226.
- ^ a b c d 渡辺康行 2017, p. 226.
- ^ a b c 日本民主法律家協会司法制度委員会 1990, p. 49.
- ^ “広島高裁長官に武藤春光東京高裁部総括判事を任命”. 読売新聞. (1991年5月7日)
- ^ “時国康夫(元広島高裁長官、弁護士)死去”. 読売新聞. (1998年8月12日)
参考文献
[編集]- 日本民主法律家協会司法制度委員会『全裁判官経歴総覧』公人社、1990年。
- 渡辺康行『憲法学からみた最高裁判所裁判官』日本評論社、2017年。ISBN 9784535522633。