是永歳太郎
表示
是永 歳太郎(これなが としたろう、1860年2月15日(万延元年1月24日[1][2])- 1920年(大正9年)12月29日[3][注釈 1])は、明治から大正前期の警察官、農業経営者、政治家。衆議院議員、大分県西国東郡高田町長。名・直房、通称・歳太郎[2]。
経歴
[編集]豊後国国東郡、のちの大分県[3]西国東郡高田町[4](現豊後高田市)で、副里正の家に生まれる[2]。漢学を修めた[3]。
1877年(明治10年)西南戦争後に警察官となり、大分警察署(現大分中央警察署)勤務、鶴崎葉派出所詰を務めて退職[4]。故郷の高田で書籍・文具商を経営[3][4]。当時の高田警察署(現豊後高田警察署)長・赤鉾文太郎の勧誘で同署書記を務めた[4]。
1889年(明治22年)町村制施行により高田町が発足し、同年6月、初代町長となり1899年(明治32年)8月まで在任[2][3][4]。1891年(明治24年)11月、西国東郡会議員に当選し2期在任し、同参事会員、同議長代理を務めた[2][3]。1892年(明治25年)9月、大分県会議員に選出され3期在任し、同参事会員を務めた[2][3][4]。元田肇の豊州会に所属して活動した[4]。
1904年(明治37年)3月、第9回衆議院議員総選挙(大分県郡部、甲辰倶楽部)で当選し[2][4][5]、その後、立憲政友会に所属して衆議院議員に1期在任した[3]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『西国東郡誌』488頁では12月28日。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 西国東郡編『西国東郡誌』西国東郡、1923年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『大分県歴史人物事典』大分合同新聞社、1996年。