コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

是永歳太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

是永 歳太郎(これなが としたろう、1860年2月15日(万延元年1月24日[1][2])- 1920年大正9年)12月29日[3][注釈 1])は、明治から大正前期の警察官、農業経営者、政治家衆議院議員大分県西国東郡高田町長。名・直房、通称・歳太郎[2]

経歴

[編集]

豊後国国東郡、のちの大分県[3]西国東郡高田町[4](現豊後高田市)で、副里正の家に生まれる[2]。漢学を修めた[3]

1877年(明治10年)西南戦争後に警察官となり、大分警察署(現大分中央警察署)勤務、鶴崎葉派出所詰を務めて退職[4]。故郷の高田で書籍・文具商を経営[3][4]。当時の高田警察署(現豊後高田警察署)長・赤鉾文太郎の勧誘で同署書記を務めた[4]

1889年(明治22年)町村制施行により高田町が発足し、同年6月、初代町長となり1899年(明治32年)8月まで在任[2][3][4]。1891年(明治24年)11月、西国東郡会議員に当選し2期在任し、同参事会員、同議長代理を務めた[2][3]。1892年(明治25年)9月、大分県会議員に選出され3期在任し、同参事会員を務めた[2][3][4]元田肇の豊州会に所属して活動した[4]

1904年(明治37年)3月、第9回衆議院議員総選挙(大分県郡部、甲辰倶楽部)で当選し[2][4][5]、その後、立憲政友会に所属して衆議院議員に1期在任した[3]

また、朝鮮慶尚南道で農場を経営した[3]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 『西国東郡誌』488頁では12月28日。

出典

[編集]
  1. ^ 衆議院『衆議院議員名簿』〈第二十回帝国議会衆議院公報第1号附録〉、1904年、27頁。
  2. ^ a b c d e f g 『西国東郡誌』486-488頁。
  3. ^ a b c d e f g h i 『議会制度百年史 - 衆院議員名鑑』263頁。
  4. ^ a b c d e f g h 『大分県歴史人物事典』229頁。
  5. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』35頁。

参考文献

[編集]
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 西国東郡編『西国東郡誌』西国東郡、1923年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『大分県歴史人物事典』大分合同新聞社、1996年。