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春浦宗熙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

春浦宗熙(しゅんぽそうき、応永16年(1409年) - 明応5年(1496年1月14日)は、室町時代臨済宗大徳寺40世。別号に巣庵。諡号は正続大宗禅師。播磨国赤松郡出身。

6歳の時に京都建仁寺の乾心に師事、18歳で出家得度。24歳の時、大徳寺住持26世の養叟宗頤から印可を得て、寛正2年(1461年)大徳寺住持40世となり、天沢院に住した。 応仁の乱がはじまると摂津国の城福寺、和泉国陽春庵に避難したが、文明5年(1473年)に大徳寺再住の詔を受けて帰京、戦乱で壊滅した大徳寺の再興にあたった。明応元年(1942年)に開かれた大徳寺塔頭の松源庵の開山となり、墓所も同庵内にある。

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