昌光律寺
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昌光律寺 | |
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所在地 | 愛知県岡崎市伊賀町南郷中69 |
位置 | 北緯34度58分11.44秒 東経137度09分56.55秒 / 北緯34.9698444度 東経137.1657083度座標: 北緯34度58分11.44秒 東経137度09分56.55秒 / 北緯34.9698444度 東経137.1657083度 |
山号 | 大恩山 |
宗派 | 浄土宗 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 1765年(明和2年) |
文化財 |
鉦鼓用引架(重要文化財) 僧月僊作品群(県指定文化財) |
法人番号 | 3180305000187 |
昌光律寺(しょうこうりつじ)は、愛知県岡崎市伊賀町にある浄土宗の寺院。山号は大恩山。本尊は阿弥陀如来[1]。
概要
[編集]越中国井波出身で江戸の増上寺で修学した徳厳は、戒律の復興をとなえ三河を訪れた。当初貞照院にいたが、1752年(宝暦2年)に当地に隠棲した。そして1763年(宝暦13年)、伊賀八幡宮神主柴田勝興に請われ研修道場として松林院に移り、1765年(明和2年)、庵室を改築して昌光律寺を創建した。
連尺町の成田薫左衛門剛寛の孫、第7代万空は、詩文をもって月僊や菅茶山、頼山陽、岡本花亭らと交わった。とくに伊勢国山田の月僊(1741年 - 1809年)はたびたび来訪し、障屏画76面、仏涅槃図など仏画20幅、屏風1双、画帖5帖を残した。
明治大正期の昌光律寺の僧、伊藤徹門[2]は「福は和を求め、和は福を求む」という言葉を提唱した。この言葉にちなんでつくられた「福和もち」はかつて岡崎市で銘菓としてもてはやされた[3]。
文化財
[編集]以下の物件が文化財に指定されている[4]。
指定名称 | 指定別 | 種別 | 指定年月日 |
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鉦鼓用引架 | 重要文化財 | 工芸品 | 1962年(昭和37年)6月21日 |
僧月僊作品群 | 県指定文化財 | 絵画 | 1955年(昭和30年)6月6日 |
ギャラリー
[編集]交通手段
[編集]- 名鉄バス・大樹寺方面「八幡社前」バス停下車、バス停のすぐ横にある。
脚注
[編集]- ^ 『新編岡崎市史 総集編』, p. 192.
- ^ a b “颯田諦真”. WEB版新纂浄土宗大辞典. 宗教法人浄土宗. 2023年1月16日閲覧。
- ^ 「産業の岡崎」岡崎市、1953年4月10日、38頁。
- ^ “岡崎市指定文化財目録”. 岡崎市ホームページ (2023年7月12日). 2024年1月17日閲覧。
- ^ “『ふるさとの森』選定地一覧” (PDF). 岡崎市役所 (2018年7月20日). 2020年8月23日閲覧。
参考文献
[編集]- 『新編 岡崎市史 総集編 20』新編岡崎市史編さん委員会、1993年3月15日。
- 『岡崎 史跡と文化財めぐり』岡崎市役所、2003年1月1日、35-36頁。