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昌光律寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
昌光律寺
所在地 愛知県岡崎市伊賀町南郷中69
位置 北緯34度58分11.44秒 東経137度09分56.55秒 / 北緯34.9698444度 東経137.1657083度 / 34.9698444; 137.1657083座標: 北緯34度58分11.44秒 東経137度09分56.55秒 / 北緯34.9698444度 東経137.1657083度 / 34.9698444; 137.1657083
山号 大恩山
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 1765年明和2年)
文化財 鉦鼓用引架(重要文化財
僧月僊作品群(県指定文化財)
法人番号 3180305000187 ウィキデータを編集
昌光律寺の位置(愛知県内)
昌光律寺
昌光律寺
昌光律寺 (愛知県)
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昌光律寺(しょうこうりつじ)は、愛知県岡崎市伊賀町にある浄土宗寺院。山号は大恩山。本尊阿弥陀如来[1]

概要

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越中国井波出身で江戸増上寺で修学した徳厳は、戒律の復興をとなえ三河を訪れた。当初貞照院にいたが、1752年宝暦2年)に当地に隠棲した。そして1763年(宝暦13年)、伊賀八幡宮神主柴田勝興に請われ研修道場として松林院に移り、1765年明和2年)、庵室を改築して昌光律寺を創建した。

連尺町の成田薫左衛門剛寛の孫、第7代万空は、詩文をもって月僊菅茶山頼山陽、岡本花亭らと交わった。とくに伊勢国山田の月僊(1741年 - 1809年)はたびたび来訪し、障屏画76面、仏涅槃図など仏画20幅、屏風1双、画帖5帖を残した。

明治大正期の昌光律寺の僧、伊藤徹門[2]は「福は和を求め、和は福を求む」という言葉を提唱した。この言葉にちなんでつくられた「福和もち」はかつて岡崎市で銘菓としてもてはやされた[3]

文化財

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以下の物件が文化財に指定されている[4]

指定名称 指定別 種別 指定年月日
鉦鼓用引架 重要文化財 工芸品 1962年昭和37年)6月21日
僧月僊作品群 県指定文化財 絵画 1955年(昭和30年)6月6日

ギャラリー

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交通手段

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  • 名鉄バス・大樹寺方面「八幡社前」バス停下車、バス停のすぐ横にある。

脚注

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  1. ^ 『新編岡崎市史 総集編』, p. 192.
  2. ^ a b 颯田諦真”. WEB版新纂浄土宗大辞典. 宗教法人浄土宗. 2023年1月16日閲覧。
  3. ^ 「産業の岡崎」岡崎市、1953年4月10日、38頁。
  4. ^ 岡崎市指定文化財目録”. 岡崎市ホームページ (2023年7月12日). 2024年1月17日閲覧。
  5. ^ 『ふるさとの森』選定地一覧” (PDF). 岡崎市役所 (2018年7月20日). 2020年8月23日閲覧。

参考文献

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  • 『新編 岡崎市史 総集編 20』新編岡崎市史編さん委員会、1993年3月15日。 
  • 『岡崎 史跡と文化財めぐり』岡崎市役所、2003年1月1日、35-36頁。