旭川志峯幼稚園
旭川志峯幼稚園 | |
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過去の名称 |
北日本学院大学附属幼稚園 旭川大学附属幼稚園 |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人旭川志峯学院 |
設立年月日 | 1970年[1] |
開園記念日 | 6月15日 |
共学・別学 | 男女共学 |
幼稚園コード | A101320400148(学校コード) |
所在地 | 〒079-8415 |
公式サイト |
www |
プロジェクト:学校/幼稚園テンプレート |
旭川志峯幼稚園(あさひかわしほうようちえん、英: Asahikawa-shihō Kindergarten)は、北海道旭川市永山にある学校法人旭川志峯学院が運営する私立幼稚園。
設置者である学校法人旭川志峯学院は、2023年4月1日からの旭川大学の公立化(公立大学法人旭川市立大学への移管)を機に、当園の名称を旧来の旭川大学附属幼稚園から変更している[2]。
概要
[編集]1969年(昭和44年)から北日本学院大学女子短期大学部(翌年5月に旭川大学女子短期大学部と改称)に幼児教育学科が設置されたのを受けて、翌1970年(昭和45年)4月に同大学の附属幼稚園として開設[注釈 1] されて以来、今日まで引き続いて幼児教育を行っている。また、2023年3月末まで母体組織であった大学が公立化を機に設置者の法人から離れた後も、後身大学の学生によって当園でのボランティア活動が行われるなど交流が続いている[4]。
沿革
[編集]主な出典:[1]
由来
[編集]設置者の学校法人の前身組織である財団法人旭川共立女子学園が設立されてその設置学校が法人運営となる前に、法人の創始者である澤井兵次郎が個人立で開設した旭川女学校附属旭幼稚園(1915年〈大正4年〉12月開設[5])があり[注釈 2]、その個人立幼稚園についての継承関係をさらにさかのぼると、歴史的経緯は次のとおりである。
1906年(明治39年)8月に北海道上川郡旭川町6条通10丁目左4号で日本キリスト教会牧師の杉浦義一[6] がその妻の杉浦信子[注釈 3](園長に就任)と開始した相愛幼稚園があったが、1913年(大正2年)8月に、杉浦が任地変更のため北海道を離れたのを機に、同幼稚園を小林直三郎[注釈 4] が継承した後は、宗教色がなくなるとともに園名を旭幼稚園に改称している[5][9][注釈 5]。その後、1915年(大正4年)12月に旭幼稚園を私立旭川女学校の校主[11] であった澤井兵次郎が継承して同校の付属園とし、澤井自身がその園長に就任している[12][13]。1926年(大正15年)当時の名称は、旭川実科高等女学校附属旭幼稚園(所在地:旭川市4条通、設立者:澤井兵次郎)[14]。その後、1937年(昭和12年)発刊の資料でも存続を確認できるが[15]、戦後(設置者は財団法人を経て学校法人に移行)においては設置者が運営する幼稚園施設の名称は見当たらない[16][注釈 6]。
年表
[編集]- 1970年
- 1974年 - 5クラスに拡大。
- 1995年 - 現在地に園舎を新築移転、年少組の受け入れ開始。
- 2000年 - スクールバスの外部委託開始。
- 2001年 - 園開放事業を開始。
- 2004年 - 給食を開始。
- 2008年 - 遊戯室ステージ新設。
- 2014年 - 園地拡大(畑活用)。
- 2016年 - 満3歳児受け入れ開始。
- 2023年4月 - 旭川志峯幼稚園に改称。
教育目標
[編集]- 「いっしょに育つ心と体」[19]
- 「じぶんがすき」 - できた(達成感)、楽しかった(満足感)、愛されている(安心感)、自分のことは自分でできる(自立心)
- 「みんながすき」 - 集団行動、社会のルール、しつけ、道徳心、励まし合う、助け合う、ありがとう(感謝の気持ち)、役に立つことの喜び、お手伝い等(勤労の意欲)
一人ひとりの違いを認め合う
園の行事
[編集]出典:[20]
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系列校
[編集]- 旭川志峯高等学校(旧名称:旭川大学高等学校)
- 旭川情報ビジネス専門学校(旧名称:旭川大学情報ビジネス専門学校)
かつての系列校
[編集]- 旭川大学 - 2023年、旭川市立大学へ名称変更、ただし別法人への移管により系列校ではなくなる。
- 旭川大学短期大学部 - 2023年、旭川市立大学短期大学部へ名称変更、ただし別法人への移管により系列校ではなくなる。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 法人の資料では、前史の旭川女学校附属旭幼稚園を踏まえて1970年の大学附属幼稚園の開設について幼稚園の「再開」と記すものもある[3]。
- ^ 当園の資料でも「大正5年開園の旭川女学校附属旭幼稚園まで溯ることになります」と記されている[1]。
- ^ アニー・ライオン・ハウの項目によれば、杉浦信子は「牧師の夫人で高知より、2人の子どもを連れて神戸に来て、ハウの日本語教師兼通訳を勤めた」経歴の持ち主である(2023年7月18日閲覧)。なお、夫の杉浦義一も神戸や高知に赴任していた経歴がある[7] 。
- ^ 出典の『旭川市史稿 上卷』577頁に、杉浦夫妻から幼稚園を継承したのは「近文一線一号」在住の小林直三郎と記されているが、同書185頁には、小林は旭農場を経営していて、近文の同所区画外に旭農場支場を移転させたとの記載がある。北海道開拓史上において、小林は美瑛の入植者第1号としてその名を知られている[8]。
- ^ 別の出典によれば、旭幼稚園への改称は1914年(大正3年)7月のことである[10]。
- ^ 北海道幼稚園の廃園一覧の項目に「旭幼稚園(廃園時期不詳)」との記載があるが(2023年7月18日閲覧)、その出典によれば設置者の法人は学校法人旭川カトリック学園であるため、戦前にあった本項の旭幼稚園とは異なる。
出典
[編集]- ^ a b c 「開園50周年を迎えて - 幼稚園の沿革史」『園便り"たっち"』、旭川大学附属幼稚園、2019年5月31日。
- ^ “旭川市内の幼稚園一覧”. 旭川市. 2023年4月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月17日閲覧。 “※令和5年4月より園名が変更になります。(学校法人旭川志峯学院旭川志峯幼稚園)”
- ^ 学校法人旭川大学の沿革(2010年6月4日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- ^ “旭川志峯幼稚園でパネルシアターを実演しました(2023/4/27)【藤本ゼミ】”. 旭川市立大学. 2023年7月17日閲覧。 “昨年度までは旭川大学附属幼稚園でしたが、新しい園名になってからは本学の学生によるボランティア活動は初めてになります”
- ^ a b 『旭川市史稿 上卷』旭川市役所、1931年12月、576-577頁。doi:10.11501/3439264。
- ^ “旭川六条教会 沿革”. 旭川六条教会. 2023年7月18日閲覧。 “翌年【引用者注:1898年(明治31年)】、初代牧師・杉浦義一牧師が招聘され着任”
- ^ “沿革”. 聖泉幼稚園(高知市). 2023年7月18日閲覧。 “神戸の教会の牧師として勤めていた杉浦義一牧師により1887年(明治20年)に土佐教会が設立されました”
- ^ “歴史”. 美瑛町観光協会. 2023年7月18日閲覧。 “美瑛の開拓は1894年(明治27年)に兵庫県人小林直三郎が、現在の旭地区に入植し旭農場を創設したことが始まりです”
- ^ 北海道立教育研究所 編『北海道教育史 [第1] (全道編 第3)』北海道教育委員会、1963年3月、26頁。doi:10.11501/3042029。
- ^ 「年表」『北海道教育史 [第3] (総括編)』北海道立教育研究所、1970年9月、72頁。doi:10.11501/3040104。
- ^ 沿革(旭川志峯高等学校) - ウェイバックマシン(2023年6月19日アーカイブ分)
- ^ 『旭川市史 第3巻』旭川市、1959年7月、262頁。doi:10.11501/3041458。
- ^ 坂東幸太郎、中村正夫 編『旭川囘顧録――市制施行記念』改造評論社、1923年11月、466頁。doi:10.11501/971402。当該資料では、旭川女学校附属幼稚園(旭幼稚園)に移行する前は、精華女学校附属幼稚園であったと記されている。
- ^ 帝国教育会 編「全国幼稚園名簿一覧」『幼稚園研究――新令解釈 附・全国幼稚園一覧名簿』文化書房、1926年7月、名簿1頁。doi:10.11501/939363。
- ^ 「教育」『旭川市勢要覧 昭和12年版』旭川市役所、1937年7月、9頁。doi:10.11501/1455339。
- ^ 「教育」『市勢要覧 昭和27年版』旭川市役所、1952年12月、76頁。doi:10.11501/3039363。
- ^ 「旭川市史年表」『旭川市史 第6巻』旭川市、1972年3月、526頁。doi:10.11501/2992386。
- ^ “本学の主な沿革”. www.asahikawa-u.ac.jp. 学校法人旭川大学(法人情報). 2023年7月17日閲覧。 “45年(1970年) 幼稚園設置(4月)、改称(5月)”
- ^ “教育目標”. 旭川志峯幼稚園. 2023年7月18日閲覧。
- ^ “園の年間行事”. 旭川志峯幼稚園. 2023年7月18日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
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