早月橋
早月橋 | |
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基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 富山県滑川市、魚津市 |
交差物件 | 早月川 |
用途 | 道路橋 |
路線名 | 富山県道1号富山魚津線 |
着工 | 1998年(平成10年)度 |
開通 | 2003年(平成15年)8月28日 |
構造諸元 | |
形式 | PC連続箱桁橋 |
全長 | 328.5 m |
幅 | 16.5 - 19.5 m |
関連項目 | |
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早月橋(はやつきばし)は、富山県滑川市三ケと魚津市三ケの早月川河口付近に架かる主要地方道富山魚津線および、富山立山魚津線の橋である。
橋の左岸のすぐに三ケ交差点があり、富山魚津線および富山立山魚津線が分岐している。また、右岸の近くには魚津総合公園(魚津水族館、ミラージュランド)が存在する[1]。
概要
[編集]- 左岸:富山県滑川市三ケ[1]
- 右岸:富山県魚津市三ケ[1]
- 橋長:328.5 m[2]
- 幅員:16.5 - 19.5 m(うち車道9.5 m)[1]
- 事業費:約31億円(周辺の整備事業を含む)[1]
- 橋梁には免震橋梁を導入[3]
沿革
[編集]江戸時代は北陸街道の道筋として、冬期に流路部分に幅3尺の丸太橋を架けており、3文の橋銭を徴収していた。丸太が流失した際は竿越をしていた[4]。
明治維新後の1883年(明治16年)には川目ごとに狭隘の板橋を架設し、橋銭(人3厘、牛馬6厘、荷車1銭2厘)を徴収していた[5]。洪水でいつも通行止めになるため本格的な架橋を願う声が高まり、1889年(明治22年)1月[6]に、最初の木橋が架設された。同時に早月橋と命名した。1904年(明治37年)12月には、長さ248間(約451m[6])、幅3間(約5.5m[6])の木橋に架け替えた[7]。その後、1928年(昭和3年)に当時の白根竹介富山県知事が提出し富山県会で議決された第一期橋梁改良事業案(通称『100万円計画』)[8]および早月川の可道改修計画に伴い、1936年(昭和11年)8月[9]より自動車交通に対応した橋への架け替え工事を開始し、急流と岩石に伴う難工事を乗り越え、1939年(昭和14年)7月に長さ327.4m、幅7.5mの永久橋に架け替えられた[4][6](工費25万4,400円[9])。
この橋も戦後の交通量増加で老朽化したため、1998年(平成10年)度より架け替え工事および周辺道路の整備に着手、2003年(平成15年)8月28日に歩道を備えた現在の橋の竣工式が行われ、同日14:00より供用開始された[1]。なお、旧橋の欄干の一部および銘板は、四代目早月橋の両岸近くの歩道に保存されている[6][10]。
2014年度(平成26年度)には、『富山湾岸サイクリングロード』の一部として河口側の歩道に自転車誘導ラインが設置された[10]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 『北日本新聞』2003年8月28日付朝刊19面『新「早月橋」きょう開通 県道富山魚津線 渋滞緩和に期待』より。
- ^ FR16:川を渡る橋・富山県(2021年2月3日閲覧)
- ^ 『富山の橋 THE BRIDGES OF TOYAMA』(2002年、富山県発行)26頁。
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 16 富山県』(昭和54年10月8日、角川書店発行)696ページ
- ^ 『魚津の楽しい絵ほどき歴史』(1986年3月31日、広田寿三郎著、北陸堂書店発行)69ページ。
- ^ a b c d e 『早月川風土記』(2008年4月10日、早月川風土記の会編集・発行)58ページ『早月橋、月形橋』より。
- ^ 『富山縣紀夢』(1909年9月26日、富山県発行)237頁。
- ^ 『富山の橋 THE BRIDGES OF TOYAMA』(2002年、富山県土木部道路課編集)31頁。
- ^ a b 『下中島百年の教育 魚津市立住吉小学校』(1974年5月25日、住吉小学校創校百周年記念事業実行委員会発行)巻末20頁。
- ^ a b 『北日本新聞』2015年3月16日付朝刊7面『とやまの橋 39 早月橋』より。