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早川清孝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

早川 清孝(はやかわ きよたか、1946年4月11日 - 2005年3月29日)は、福岡県出身のハンドボール選手、指導者。1972年ミュンヘンオリンピックハンドボール全日本代表[1]

経歴

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福岡市立博多工業高等学校から日本体育大学に進み、卒業後湧永製薬に入社。同社ハンドボール部(ワクナガレオリック)に所属。その後、大阪イーグルスに移籍した。

全日本では、1970年日体大生としてフランスで行われた世界選手権に出場。1972年には湧永の選手としてミュンヘン五輪代表。

現役引退後、指導者としても活躍、全日本コーチも務めた。1979年、日本オリンピック委員会スポーツ指導者海外研修員として、ドイツケルン体育大学へ留学している[2]

晩年には京都市立芸術大学教授を務めた。2005年3月29日、兵庫県西宮市内の病院で、慢性骨髄性白血病のため死去。58歳没[1]

脚注

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  1. ^ a b “早川清孝氏死去 京都市立芸術大教授”. 共同通信社. 47NEWS. (2005年3月29日). オリジナルの2014年7月25日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140725112502/http://www.47news.jp/CN/200503/CN2005032901004140.html 2017年11月12日閲覧。 
  2. ^ スポーツイベントハンドボール. “「JOCスポーツ指導者在外研修(派遣)員」制度”. 2009年8月23日閲覧。

関連項目

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