ハルピン学院 (旧制専門学校)
表示
(日露協会学校から転送)
ハルピン学院 (哈爾浜学院/哈爾濱学院/哈爾賓学院) | |
---|---|
過去校名 | 日露協会学校 |
種別 | 私立、後に官立 |
創立 | 1920年 |
所在地 | 中華民国ハルピン市 (現中国黒竜江省ハルビン市) |
創立者 | 日露協会 |
初代校長 | 井田孝平 |
廃止 | 1945年 |
後身校 | なし |
同窓会 | 哈爾濱学院同窓会 |
ハルピン学院 (哈爾浜学院/哈爾濱学院/哈爾賓学院)(はるぴんがくいん) は、1920年(大正9年)に、中華民国ハルピン市に設立された旧制専門学校。
概要
[編集]- 設立当初は外務省所管の旧制専門学校であったが、1940年以後は満洲国所管の国立大学となった。日露間の貿易を担う人材養成を標榜した。
沿革
[編集]- 1920年9月24日:日露協会(1907年発足)によって日露協会学校としてハルピン市に設立。
- 1932年4月:ハルピン学院と改称。
- 1940年3月:大学に昇格し満州国立大学ハルピン学院と改称。修業年限4年
- 1945年8月:日本の敗戦に伴い解散。
- 1999年4月:ハルピン学院同窓会幕引き。同時にハルビン学院連絡所(新宿区原町1-28 恵雅堂出版内)が事務処理を引き継ぐ
歴代院長
[編集]- 初代:井田孝平[1](1920年9月24日 - ?年)
- 二代:片山秀太郎(?年 - 1924年9月20日[2]) *衆議院議員(立憲政友会)、弁護士
- 三代:高田富蔵(1924年9月20日[2] - 1935年3月[3]) *裁判官、台湾総督府官僚、教育者
- 四代:三沢糾(1935年4月[3] - 1938年) *教育者
- 五代:三毛一夫(1938年 - ?年) *陸軍軍人
- 六代:手塚省三 (1939年 - 1943年) *陸軍軍人
- 七代:渋谷三郎 (1943年4月[4] - 1945年8月21日[5])*植民地官僚
在籍教員
[編集]出身者
[編集]- 杉原千畝 - 外交官
- 根井三郎 - 外交官
- 片山醇之助 - 外交官
- 有吉林之助 - 政治家
- 草野威 - 衆議院議員
- 西沢富夫 - 政治運動家
- 工藤精一郎 - ロシア文学者
- 佐藤清郎 - ロシア文学者
- 福岡星児 - ロシア文学者
- 西本昭治 - ロシア文学翻訳家
- 井上満 - ロシア文学者、翻訳家
- 内村剛介 - ロシア文学者、評論家
- 南信四郎 - 翻訳家、ロシア研究家
- 石黒寛 (翻訳家) - 翻訳家
- 村山孚 - 中国古典研究家
- 亀井健三 - 教育者、科学書翻訳家、ちぎり絵作家、元がんぴ舎役員
- 奥田靖雄 - 言語学者、国語教育の理論家・指導者
- 加藤幸四郎 - ロシア料理店スンガリーの創業者
- 武藤英司 - 俳優
- 白鳥一雄 - 白鳥事件の警部
関連項目
[編集]関連文献
[編集]- 哈爾濱學院史料編集室編 『哈爾濱学院史』1987年 全国書誌番号:88021110
- 芳地隆之 『ハルビン学院と満洲国』新潮社、1999年 ISBN 4-10-600561-1
- 芳地隆之 『満州の情報基地 ハルビン学院』新潮社、2010年 ISBN 978-4-10-399802-0
- 飯島一孝『ハルビン学院の人びと——百年目の回顧』群像社〈ユーラシア文庫〉、2020年。ISBN 9784910100098。
脚注
[編集]- ^ 谷藤助「ハルピン学院と私」『オープン・リサーチ・センター年報』第5号、愛知大学東亜同文書院大学記念センター、2011年、62頁。
- ^ a b 「哈爾賓学院関係一件 第二巻 3.教員任免報告」 アジア歴史資料センター Ref.B04012229600
- ^ a b 「哈爾賓学院関係一件 第三巻 7.哈爾賓学院長更迭ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.B04012231500
- ^ 渋谷三郎(しぶやさぶろう)国立公文所館
- ^ 一ハルビン学院生の手記 p106