日置忠勝
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日置 忠勝(へき ただかつ、天文11年(1542年) - 天正18年7月25日(1590年8月24日))は、戦国時代から安土桃山時代の武将、池田家の重臣。
父は池田家家老日置真斎。正室は今枝忠光の娘。子は日置忠俊、今枝清六、日置忠成、日置内蔵助、今枝直恒、日置由成。通称は猪右衛門。
生涯
[編集]天文11年(1542年)、日置真斎の子として生まれる。天正11年(1583年)、主君池田恒興が美濃大垣城主となると、知行4500石を賜り、尾浦城を預けられた。天正12年(1584年)、小牧・長久手の戦いに出陣する。天正18年(1590年)、小田原征伐で豊臣秀吉に同行して小田原に向かう途中、遠江国荒井(現・静岡県湖西市)で病没した。享年49。家督は嫡男の忠俊が相続した。五男の直恒は母方の伯父で前田家家老の今枝重直の養子となった。
参考文献
[編集]- 『備前家老略伝』
- 『御津町史』