日米富士自転車
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日米富士自転車株式会社 (Nichibei Fuji Cycle Co., Ltd.) は、かつて日本に存在した自転車メーカーである。本社は東京都町田市森野二丁目2番(1995年当時)。倒産後、海外企業に買収され、fujibikeの商標で米国投資会社タイガー・グループ傘下。
沿革
[編集]創業当初はアメリカ合衆国製品の輸入販売代理店で、のちに日本国内で自転車生産を始めた。太平洋戦争前後に社名を大日本自転車とし、のちに日米富士自転車へ改める。
- 1899年、岡崎久次郎が創業し、当初は電灯類などの米国商品の輸入販売を主とした。
- 1900年、日米商店の商号で創業する。
- 1901年、米国製レロイ自転車を発売する。
- 1903年、自転車、カメラを主要商品とする。1898年から数回海外視察を繰り返し、自転車メーカーのラージ社 (en:Rudge-Whitworth)、ホドソン社などと特約を結ぶ[1]。
- 1906年、イギリスのラーヂブランド自転車の輸入販売を開始する。
- 1916年、国産ラーヂ自転車生産のために大日本自転車株式会社設立する。のちに大日本機械工業となり、農機具部門は1972年に小松ゼノアとなる。
- 1919年、ケント号を発売する。
- 1928年、商標をラーヂから富士に改称する。
- 1931年、霸王号、宣伝号、ケント号、ホドソン号、ソープ号、スポーツ号、オニ号を販売する[2]
- 1935年、日本で初のスポーツ車となるフェザー号を発売する[3]。
- 1951年、日米富士自転車株式会社に社名変更する。
- 1950年代後半、アメリカ合衆国へ輸出を開始する。
- 1971年に富士アメリカ社 (Fuji America) を設立し、輸出台数を伸ばした。日本国内で電子フラッシャー付き少年向けスポーツ自転車を発売すると、国内同業他社は各種ギミックを付した男児向け自転車の開発競争した。ロードレーサーやランドナー、スポルティーフなどオンロード車を「Olympic」、MTBを「Mount Fuji」のブランドをそれぞれ冠し、ジーンズブランドのラングラーとコラボレーションモデルも発売した。
- 1996年11月に、従来より関係が深い株式会社東食に吸収合併されたが、1997年12月に東食は会社更生法適用を申請して倒産した。のちに東食は穀物商社のカーギル社 (Cargill Inc.) 傘下で再建し、自転車部門は米独台湾ペースのアドバンス・スポーツ社 (Advanced Sports, Inc.) が引き継いだ。アドバンス・スポーツ社は社名をフジ・アドバンススポーツとし、2006年7月現在でペンシルベニア州に本社を置き、Fujiブランドの自転車を販売している。
- 2019年2月に米国に本拠を置く投資会社タイガー・グループがアドバンススポーツを買収[4]した。
跡地
[編集]関連項目
[編集]- FUJI BIKES
- 岡崎勝男 - 創業者の弟で社長を務めた。元外務大臣。
- 杉原鏘一郎 - 当社社員。オリンピック自転車競技日本代表監督。
- 町田市民ホール - 本社に隣接したボウリング場「日米ボウル」を改修し、1978年(昭和53年)に開館した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 渡邉, 喜久「自転車産業技術の変遷に関する一考察」『研究紀要』第5巻、東海学園大学、2000年3月31日、57-80頁、NAID 110000486918。
外部リンク
[編集]- Tiger Group(英語) - タイガー・グループ
- Fujibikes.com(英語) - アドバンス・スポーツ社
- 株式会社アキボウ - Fuji Bikesの日本総代理店
- 株式会社カーギルジャパン
- 明日の自転車店経営 (日米商店富士聯盟本部, 1934)