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日田永基

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
日田 永基
時代 鎌倉時代中期
生誕 不明
死没 不明[注釈 1]
別名 弥三郎、弥次郎?[2][1]
戒名 法基[2]
官位 従六位左衛門尉[3]
幕府 鎌倉幕府 御家人
主君 惟康
氏族 大蔵氏日田氏[1]
父母 父:日田永信[1]
永資[1]
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日田 永基(ひた ながもと)は、鎌倉時代中期の豊後国武士

生涯

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日田氏大蔵氏の一族で豊後国日田郡郡司を相伝し、また郡内日田庄を領した[2][2][1]文永11年(1274年文永の役では筑前国に出征して姪浜や百路原の戦いで戦功を挙げた。この恩賞として国東郡安岐郷内に弁分・弘永など5名を賜り、また左衛門尉に叙されたという[2][2][1][3]

脚注

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注釈

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  1. ^ 文永11年(1274年)の文永の役で戦死したとする説もある[1]

出典

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  1. ^ a b c d e f g 太田 1963.
  2. ^ a b c d e f 中野 1995.
  3. ^ a b 『日田記』, p. 62.

参考文献

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  • 中野幡能 編『大分県の地名』平凡社日本歴史地名大系〉、1995年。ISBN 978-4-582-91018-6 
  • 太田亮『姓氏家系大辞典』角川書店、1963年。ISBN 978-4-04-030200-3 
  • 芥川竜男; 財津永延 編『日田記』文献出版、1977年。