日本における最初の自動車レース
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日本における最初の自動車レース(にほんにおけるさいしょのじどうしゃレース)は、日本における史上最初の自動車レースに対して用いられる呼称である。どういった前提(定義)を用いるかによってその対象となるレースが異なるため、特に四輪自動車について、この呼称が用いられるレースは複数存在する。
二輪
[編集]開催日 | 名称 | 場所 | 主催者 | 内容 | 定義 | 出典 |
---|---|---|---|---|---|---|
1901年(明治34年)11月3日 | 大日本双輪倶楽部秋季大競走会 | 東京府東京市 上野公園・不忍池 | 大日本双輪倶楽部 | 自転車大会における余興。 二輪、三輪、四輪サイクルカーの混走。 |
史上初。 | [1][2][3][4][5] |
1912年(明治45年)5月5日 | 第1回自動自転車競走会 | 兵庫県武庫郡鳴尾村 鳴尾競馬場 | 大阪朝報社 | 自動自転車競走会の第1回大会。 | 二輪自動車のみによるものとして史上初[注釈 1]。 | [3][6] |
1962年(昭和37年)11月3日 - 11月4日 | 第1回全日本選手権ロードレース大会 | 三重県鈴鹿市 鈴鹿サーキット | 日本モーターサイクルレース協会 | 鈴鹿サーキットにおける最初の自動車レース。 | (参考) 全舗装のサーキットにおけるものとして史上初。 |
四輪
[編集]開催日 | 名称 | 場所 | 主催者 | 内容 | 定義 | 出典 |
---|---|---|---|---|---|---|
1901年(明治34年)11月3日 | 大日本双輪倶楽部秋季大競走会 | 東京府東京市 上野公園・不忍池 | 大日本双輪倶楽部 | 自転車大会における余興。 二輪、三輪、四輪サイクルカーの混走。 |
史上初。 | [1][2][3][4] |
1902年(明治35年)4月5日 | 金輪倶楽部不忍池競争会 | 東京府東京市 上野公園・不忍池 | 金輪倶楽部 | 自転車大会における余興。 | 複数の四輪自動車によるものとして史上初。 | [2][5] |
1908年(明治41年)5月30日 - 6月 | ニューヨーク・パリレース | 神奈川県横浜市 横浜港 - 福井県敦賀市 敦賀港 | ニューヨーク・タイムズ、 ル・マタン |
ニューヨークからパリまでのラリーレイドの一部。 | (参考) [注釈 2] | [7][8][W 1] |
1915年(大正4年)10月16日 | 自動車大競走会 | 東京府東京市 目黒競馬場 | 米国日本人自動車研究会 | 在米日本人による来日興行。 | 興行として史上初[注釈 3]。 | [9][10][11][12][13][14][15][16][W 2] |
1922年(大正11年)11月12日 | 第1回自動車大競走 | 東京府東京市 洲崎埋立地 | 報知新聞社 | 日本自動車競走大会の第1回大会。 | 本格的なものとして史上初[注釈 4]。 | [20][21][15][W 2] |
1923年(大正12年)4月22日 | 第2回自動車大競走 | 東京府東京市 洲崎埋立地 | 帝国自動車保護協会 | 日本自動車競走大会の第2回大会[注釈 5]。 | [22][18][19] | |
1936年(昭和11年)6月7日 | 全日本自動車競走大会 | 神奈川県川崎市 多摩川スピードウェイ | 報知新聞社 | 日本自動車競走大会(全日本自動車競走大会)の大会[注釈 6]。 | 常設サーキットにおけるものとして史上初。 | [3][24][25] |
1963年(昭和38年)5月3日 - 5月4日 | 第1回日本グランプリ | 三重県鈴鹿市 鈴鹿サーキット | 日本自動車スポーツ協会(JASA) | 鈴鹿サーキットにおける最初の四輪自動車レース。 | (参考) 全舗装のサーキットにおけるものとして史上初。[注釈 7] | [20][W 2] |
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 余興ではなく興行として開催された二輪自動車レースとしても、本格的な二輪自動車レースとしても史上初のレースにあたる[3]。
- ^ このレースは通過したのみなので、日本で開催された初のレースという位置付けで語られることはない。日本とモータースポーツの初期の接点として、しばしば言及される。
- ^ ここで言う「興行」は「四輪自動車のレース」という扱いで開催され、かつ観客から料金を取る形式で開催されたものということを意味する。この興行は翌月に関西地方(鳴尾競馬場)でも開催されたが、単発の開催で終わり、主催者も帰国したため後につながらず、加えて、この興行は見世物としての要素が強かったため(詳細はこのレースの記事を参照)、1922年の例が「本格的な開催」の始まりとみなされている。
- ^ この場合の「本格的な」とは、「真剣な競技として行われた」ということを意味する。第1回大会が初の例とされることが比較的多いが、第1回大会はタイムトライアル形式として開催されたことから、異論もあり[17]、複数の自動車が同時に走行してレースを行った最初の大会である、翌年の第2回大会が実質的には最初の本格的なレースだったとする説もある[18][19]。
- ^ 日本で活動していた英字新聞である『ジャパン・アドバタイザー』は第1回大会を「preliminary trials(予行練習)」とみなして、実質的にはこの第2回大会が最初のレースだったと述べている[22]。その後も、同じ結論に至ってその解釈を述べているケースが複数存在する[18][19]。
- ^ 全日本自動車競走大会の第1回大会とされることが多いが、1934年に月島4号埋立地(晴海)で開催された大会を第1回大会とみなして、この大会を第2回大会としている例もある[23]。
- ^ 「最初の自動車レース」というより、「日本におけるモータースポーツの幕開け」という位置付けにより[26]、しばしば言及される。
出典
[編集]- 出版物
- ^ a b 明治の輸入車(佐々木1994)、「7. 日本初のモーターレース グラヂェートル」 pp.42–47
- ^ a b c 20世紀の国産車(鈴木2000)、「10. 上野公園で自動車競走ことはじめ」 pp.48–49
- ^ a b c d e 戦前自動車競走史-1 追想オートバイ競走会(岩立)、『Old-timer』No.69(2003年4月号)
- ^ a b 日本自動車史I(佐々木2004)、「日本自動車年表(1895~1913年)」 pp.270–282
- ^ a b 戦前日本の自動車レース史(三重2022)、「不忍池を巡って」 pp.233–234
- ^ 戦前自動車競走史-3 関西競走界と鳴尾競馬場の記録(岩立)、『Old-timer』No.71(2003年8月号)
- ^ 日本自動車史II(佐々木2005)、pp.100–102
- ^ 戦前日本の自動車レース史(三重2022)、「トーマス・フライヤー、上陸」 pp.234–235
- ^ 日本自動車工業史稿 第2巻(1967)、p.607
- ^ サーキットの夢と栄光(GP企画センター1989)、p.15
- ^ 日本自動車史II(佐々木2005)、p.107
- ^ 日本自動車史II(佐々木2005)、「日本自動車年表(1914~1927年)」 pp.274–283
- ^ 日本自動車史年表(GP企画センター2006)、p.14
- ^ 日本の自動車レース史(杉浦2017)、p.6
- ^ a b トヨタ モータースポーツ前史(松本2018)、p.20
- ^ 戦前日本の自動車レース史(三重2022)、「目黒競馬の自動車競走」 pp.237–238
- ^ 戦前日本の自動車レース史(三重2022)、「山階宮のお召し」 p.74
- ^ a b c サーキットの夢と栄光(GP企画センター1989)、p.17
- ^ a b c 戦前日本の自動車レース史(三重2022)、「「社会的地位」を発揮」 p.115
- ^ a b Super CG No.11(1991年)、「本田宗一郎氏とカーチス・レーサー」(小林彰太郎) pp.49–55
- ^ 日本自動車史年表(GP企画センター2006)、p.18
- ^ a b “Interest shown in automobile racing” (英語). The Japan Advertiser: p. 21. (1924年6月10日)
- ^ 日本の自動車レース史(杉浦2017)、p.36
- ^ RacingOn No.481、「80年前日本のレースが始まった 多摩川スピードウェイ回顧展」(三重宗久) pp.118–119
- ^ RacingOn No.516、「日本の歴史が消えた日」(藤原よしお) pp.102–103
- ^ トヨタ モータースポーツ前史(松本2018)、p.10
- ウェブサイト
- ^ 大須賀和美 (1983年3月10日). “日本自動車史の資料的研究 第8報 「New York・Paris間2万マイル,史上最長自動車耐久レース」その概要と日本通過の記録,1908年(明治41)”. 中日本自動車短期大学. 2020年11月22日閲覧。
- ^ a b c “多摩川スピードウェイ――自動車競走の時代 (1936年)”. Gazoo (2017年1月13日). 2020年11月22日閲覧。
参考資料
[編集]- 書籍
- 自動車工業会『日本自動車工業史稿』 第2巻、自動車工業会、1967年2月28日。ASIN B000JA7Y64。 NCID BN06415864。NDLJP:2513746。
- 桂木洋二 (編)『日本モーターレース史』グランプリ出版、1983年7月25日。ASIN 4381005619。ISBN 978-4381005618。 NCID BN13344405。
- GP企画センター (編)『サーキットの夢と栄光 日本の自動車レース史』グランプリ出版、1989年2月15日。ASIN 4906189806。ISBN 4-906-189-80-6。 NCID BN05605489。
- 佐々木烈『明治の輸入車』日刊自動車新聞社、1994年4月5日。ASIN 493073911X。ISBN 4-930739-11-X。 NCID BN11302313。
- 鈴木一義『20世紀の国産車 ─高嶺の花がマイカーとなるまで─』三樹書房、2000年5月1日。ASIN 4895222551。ISBN 978-4-89522-255-6。 NCID BA46602548。
- 佐々木烈『日本自動車史 ─日本の自動車発展に貢献した先駆者達の軌跡─』三樹書房、2004年3月7日。ASIN 4895223728。ISBN 978-4-89522-372-0。 NCID BA72460305。
- 佐々木烈『日本自動車史II ─日本の自動車関連産業の誕生とその展開─』三樹書房、2005年5月20日。ASIN 4895224546。ISBN 978-4-89522-454-3。 NCID BA72460305。
- GP企画センター編『日本自動車史年表』グランプリ出版、2006年9月20日。ASIN 4876872864。ISBN 4-87687-286-4。 NCID BA78543700。
- 杉浦孝彦『日本の自動車レース史 多摩川スピードウェイを中心として』三樹書房、2017年4月17日。ASIN 4895226670。ISBN 978-4-89522-667-7。 NCID BB23601317。
- 松本秀夫『トヨタ モータースポーツ前史 トヨペット・レーサー、豪州一周ラリーを中心として』三樹書房、2018年4月18日。ASIN 4895226875。ISBN 978-4-89522-687-5。 NCID BB26001407。
- 三重宗久『戦前日本の自動車レース史 藤本軍次とスピードに魅せられた男たち』三樹書房、2022年4月20日。ASIN 4895227723。ISBN 978-4-89522-772-8。 NCID BC14200480。
- 雑誌 / ムック
- 『SUPER CG(スーパーカーグラフィック)』誌(NCID N10240008)
- 『No.11』二玄社、1991年11月15日。
- 『Old-timer』各号中の記事
- 岩立喜久雄「轍をたどる(18) 戦前自動車競走史-1 追想オートバイ競走会」『Old-timer』第69号、八重洲出版、2003年4月1日、166-171頁。
- 岩立喜久雄「轍をたどる(20) 戦前自動車競走史-3 関西競走界と鳴尾競馬場の記録」『Old-timer』第71号、八重洲出版、2003年8月1日、166-173頁。
- 『Racing On』(NCID AA12806221)
- 『No.481 [レーシングロータリー vs ハコスカGT-R]』三栄書房、2016年3月16日。ASIN B01BSBC02K。ASB:RON20160201。
- 『No.516 [日産NP35 & R390GT1]』三栄、2022年1月14日。ASIN B088LVR9RX。ASB:RON20211201。
- 新聞
関連項目
[編集]- 上野不忍池競馬 - 1901年と1902年の自転車大会は、どちらも不忍池競馬と同じ周回路を使用した。