日吉定雄
Sadao HIYOSHI | |
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基本情報 | |
名前 | 日吉 定雄 |
生年月日 | 1943年9月1日(81歳) |
国籍 | 日本 |
経歴 |
日吉 定雄(ひよし さだお、1943年9月1日 - )は日本のプロゴルファー。
来歴
[編集]1969年の日本プロでは杉本英世が予選で姿を消し、河野高明・安田春雄が下位に低迷するという波乱含みの展開[1]となったが、初日に鈴村照男と共に67で首位に立ち、2日目には69の石井裕士と共に通算6アンダーでリードする[2]。最終日は前半の18ホールを69で回り、67の村上隆に並ばれる[1]。午後には激しい雷雨でプレーは一時中断となり、石井が再開直後の8番でバーディーを奪って勢いをつける一方で日吉は中断でリズムを崩したのか10番から3連続ボギーを叩き、陳健忠(中華民国)と並んでの5位タイに終わった[1]。
1971年の日本プロでは、初日を田中文雄と共に首位から3打差2位タイでスタートし、2日目には杉本と共に首位から1打差2位タイに着けた[3]。
1972年の沖縄テレビカップ(6380ヤード、パー72)では時に56歳5ヶ月と4日、レギュラーの最年長優勝記録を樹立[4]した中村寅吉、細石憲二・今井昌雪に次ぎ、山本善隆・橘田規・宮本省三・新井規矩雄・沼澤聖一・杉原輝雄・村上・尾崎将司らを抑えての4位に入った[5]。大会は2日間54ホールの忙しくタフな試合であったが、この試合の参加人数などは不明だが、日本中の100数十人のプロが参加し、当時は沖縄返還記念の行事として大々的に開催された[5]。
1972年には草壁政治と共に上位争いに加わるようになり、草壁や村上と共に関東プロ協会制定の月例競技得点表でも4位以内を占める[6]。
1973年には全日空札幌オープンでは2日目に強風で各選手が悩まされる中で3アンダー69でまとめ、初日13位から青木と並んで首位の鈴村と1打差の2位に浮上[7]。3日目には75を叩き、謝敏男(中華民国)・内田繁・田中と並んでの8位タイ[8]に後退している。ロレックスクラシックでは最終日に青木功と6アンダー138で首位タイに並び、サドンデス・プレーオフでは最初のホールでバーディーを取り、青木を振り切って初優勝[9] [10] [11]。
1974年はフジサンケイクラシックで初日に首位に立つと[12]、2日目も通算10アンダーで快調に飛ばした[13]。日本オープンでは常陸宮ご夫妻が観戦に訪れた3日目こそ7アンダーで首位から6打差3位に留まったが、最終的には青木、テッド・ボール(オーストラリア)と並んでの6位タイに終わった[14] [15]。
1975年の沖縄クラシックでは初日を陳健&謝永郁(中華民国)・沼澤・坂下定夫・草柳良夫と並んでの4位タイ[16]でスタートし、2日目には9位タイ[17]に後退するが、3日目には内田と並んでの4位タイ[18]に再び浮上し、最終日には陳健・鷹巣南雄と並んでの4位タイ[19]に留まった。
1975年のペプシウィルソントーナメントでは初日に67をマークして首位[20]に立ったが、2日目には6オーバー78で26位に落ちた[21]。
1976年のフジサンケイクラシックでは初日に9アンダー63の好スコアをマークし、ミヤ・アエ(ビルマ)に3打差を付けて首位に立つ[22]。2日目にはショットが乱れて74を叩いたが、通算7アンダーの137で辛くも首位を保つ[23]。3日目には5オーバーと振るわず、通算214でグラハム・マーシュ(オーストラリア)と並んでの10位タイ[24]に後退し、最終日は坂下・アエと並んでの8位タイ[25]に終わった。
1978年の関東オープンでは3日目に浅井教司・謝永・日吉稔と並んでの3位タイ[26]に浮上し、最終日は9位[27]で終えた。
1979年の千葉県オープンでは初日を窪田茂と並んでの4位タイでスタートし[28]、草壁と並んで長谷川勝治の2位タイに入った[29]。
その後はテレビ朝日系列解説者・ラウンドレポーターとして活躍し[30] [31]、瀬戸内海放送アナウンサーの多賀公人が神戸大学大学院経営学で、ゴルフ実況歴20年のゴルフ人脈を活かした「プロゴルファーのキャリア・トランザクションに関する研究」を2013年に実施した際にも登場している[32]。
主な優勝
[編集]- 1973年 - ロレックスクラシック
脚注
[編集]- ^ a b c “第37回日本プロゴルフ選手権(1969年)”. www.golfdendou.jp/. 2023年12月9日閲覧。
- ^ “9月5日~7日”. www.pga.or.jp. 2023年12月9日閲覧。
- ^ “第39回日本プロゴルフ選手権(1971年)”. www.golfdendou.jp. 2023年12月9日閲覧。
- ^ “驚異のエージシューター田中菊雄の世界90 武藤一彦のコラム”. golf.hochi.co.jp. 2024年5月16日閲覧。
- ^ a b “谷口徹は中村寅さんになれるか 武藤一彦のコラム – GOLF報知”. golf.hochi.co.jp. 2024年5月16日閲覧。
- ^ 朝日新聞縮刷版p654 昭和47年8月21日朝刊18面「河野高村上隆ら有利 〈あすから関東プロゴルフ〉 技巧派向きのコース」
- ^ 朝日新聞縮刷版p235 昭和48年7月7日朝刊19面「鈴村が首位に 全日空札幌ゴルフ2日目」
- ^ 朝日新聞縮刷版p271 昭和48年7月8日朝刊19面「ファンセス一気に首位 全日空札幌ゴルフ・第3日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p411 昭和48年11月12日朝刊19面「日吉、プロ入り初栄冠 プレーオフで青木破る ロレックス・ゴルフ」
- ^ “Jacklin 13 behind”. Glasgow Herald: p. 5. (12 November 1973) 20 January 2021閲覧。
- ^ “第88回 川崎国際生田緑地ゴルフ場| ブログ|桜ゴルフの会員権相場情報”. sakuragolf.co.jp. 2024年3月11日閲覧。
- ^ “日吉定雄(成田国際) 男子プロゴルファー “フジサンケイ・ゴルフ・クラシック” 第1日”. photobank.mainichi.co.jp. 2023年12月9日閲覧。
- ^ “日吉定雄(成田国際) 男子プロゴルファー “フジサンケイ・ゴルフ・クラシック” 第2日”. photobank.mainichi.co.jp. 2023年12月9日閲覧。
- ^ “第39回日本オープンゴルフ選手権(1974年)”. www.golfdendou.jp. 2023年12月9日閲覧。
- ^ “【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】セントラルゴルフクラブ。ジャパンOP初制覇、ジャンボ尾崎、国内グランドスラム達成。1974年日本オープン”. golfdigest-play.jp. 2023年12月9日閲覧。
- ^ 毎日新聞縮刷版p389 昭和50年1月17日朝刊15面「ゴルフ、南から幕あく 初日、小川69でトップ 沖縄クラシック」
- ^ 毎日新聞縮刷版p413 昭和50年1月18日朝刊11面「上田、一挙トップ 沖縄ゴルフ」
- ^ 毎日新聞縮刷版p440 昭和50年1月19日朝刊14面「沼沢首位奪う 沖縄ゴルフ」
- ^ 毎日新聞縮刷版p461 昭和50年1月20日朝刊15面「沼沢、手がたく"初笑い" プロ入り七年目の栄冠 沖縄ゴルフ最終日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p686 昭和50年5月23日朝刊16面「日吉トップ ペプシ・ウイルソン・ゴルフ第一日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p723 昭和50年5月24日朝刊17面「橘田、一気にトップ ペプシ・ウイルソン・ゴルフ(第二日)」
- ^ 朝日新聞縮刷版p386 昭和51年5月14日朝刊16面「日吉が首位 ミヤアエ2位 フジサンケイ・ゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p423 昭和51年5月15日朝刊17面「日吉が首位守る フジサンケイ・ゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p454 昭和51年5月16日朝刊16面「トップに青木功ら三人 フジサンケイ・ゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p485 昭和51年5月17日朝刊19面「鈴木規、呂をかわす プレーオフ フジサンケイ・ゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p538 昭和53年7月16日朝刊18面「謝敏、波多野と並ぶ 関東オープンゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p570 昭和53年7月17日朝刊18面「金井が初優勝 プレーオフ謝敏ら破る 関東オープンゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p727 昭和54年7月20日朝刊17面
- ^ 朝日新聞縮刷版p774 昭和54年7月21日朝刊16面
- ^ “朝日放送テレビ|マイナビABC チャンピオンシップゴルフトーナメント”. www.asahi.co.jp. 2023年12月9日閲覧。
- ^ “田原浩史”. www.tv-asahi.co.jp. 2023年12月9日閲覧。
- ^ “プロゴルファーという生き方”. bookplus.nikkei.com. 2023年12月9日閲覧。