日光寺 (愛知県設楽町)
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日光寺 | |
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所在地 | 愛知県北設楽郡設楽町田峯寺前5 |
位置 | 北緯35度03分21.3秒 東経137度31分54.6秒 / 北緯35.055917度 東経137.531833度座標: 北緯35度03分21.3秒 東経137度31分54.6秒 / 北緯35.055917度 東経137.531833度 |
山号 | 田峯山 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 釈迦牟尼仏 |
中興 | 克補契嶽(泉龍院) |
法人番号 | 6180305007816 |
日光寺(にっこうじ)は、愛知県北設楽郡設楽町田峯にある曹洞宗の寺院。
概要
[編集]田峯城を拠点とした田峯菅沼氏の菩提寺である。8月のお盆の時期には、田峯地区で死者の供養のための念仏踊りが行われる。日光寺では8月14日の御法楽(ごほうらく)や8月16日の餓鬼送りなどの行事が行われ、田峰観音では8月17日の田峰観音の盆などの行事が行われる[2]。
歴史
[編集]中世後期の田峯には日光寺と田峰観音(高勝寺)の二つが存在した[3]。日光寺の中興開山は南設楽郡新城の泉龍院の克補契嶽である[3]。中興開山は田峯菅沼氏の菅沼定信であり、文明4年(1472年)には田峯菅沼家の菩提寺となった[3]。宝飯郡豊川の曹洞宗寺院である豊川稲荷(妙厳寺)に属し、近世には宗判寺の扱いを受けていた[3]。田峯村のみならず、折立村・筒井村・桑平新田・栗嶋村を統括しており、黒印除地15石4斗3升3合余があった[3]。
江戸時代初期の正保元年(1644年)に日光寺が焼失した際、田峯の村人は天領だった段戸山の木を誤って伐採してしまった[4]。これによって村人らは代官から盗伐の疑いをかけられたが、村人らが田峰観音に歌舞伎を奉納したところ、代官による検分の日には6月なのに降雪して切株が隠され、盗伐の罪を免れたという[4]。これ以後、田峰観音の大祭では奉納歌舞伎が続けられている[4]。
明治時代初期の廃仏毀釈の際には田峰観音が廃寺となり、日光寺の境外仏堂である大悲閣高山観音堂として管理された[5]。
現地情報
[編集]所在地
[編集]アクセス
[編集]周辺施設
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『設楽町誌 通史編』設楽町、2005年
- 『設楽町誌 村落誌』設楽町、2001年
外部リンク
[編集]- 日光寺 東三河を歩こう