菓子舗榮太楼
榮太楼、本社工場・幸町店 | |
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒010-0967 秋田県秋田市高陽幸町9番11号 |
設立 |
1949年5月22日 (1883年1月21日創業) |
業種 | 食料品 |
法人番号 | 3410001000863 |
代表者 | 代表取締役社長 小国輝也 |
外部リンク | https://www.eitaro.net/ |
株式会社菓子舗榮太楼(かしほえいたろう)は、秋田県秋田市高陽幸町に本社および工場を置く、和洋菓子の製造販売会社。「さなづら」・「赤まん・青まん」・「桜咲く さくらゼリー」が代表銘菓[1][2]。
概要
[編集]1883年(明治16年)に、高橋長左衛門が川反二丁目(現在の大町二丁目)にて「栄太楼」という屋号で和菓子店を開業。当初は秋田名産であるフキの砂糖漬けなどを扱っていた。屋号は店の近くを流れる旭川の立地が、日本橋川に近い東京の栄太楼総本舗に似ていることから、長左衛門が「榮太楼」を名乗らせてもらえるようと頼み込んだことに由来し[2]、暖簾分けで開業したわけではない[2]。その後、1919年(大正8年)に商標、屋号を含めた全営業権を同地の小国庫吉が引き継いだ[3]。
戦後
[編集]1947年(昭和22年)、経営多角化の一環で千秋矢留町にあった小国家の別荘を改装して、「旅館榮太楼」を開業する。旅館は大相撲巡業の宿舎としても使われ、横綱・大鵬が宿泊。小国輝也社長の姉・芳子を見初めて結婚が決まる[2]。2006年(平成16年)を以って旅館は閉館することになったが、その際、輝也社長が大鵬に相談すると『お前が決めたことだから』と励まされたという[2]。
2019年(令和元年)6月末で創業の地でかつて本店とした大町店を閉店した[4]。大町店1階にはコミュニティスペース -EN、2階には「大鵬ギャラリー」、「秋田三大女傑」の一人といわれた輝也社長の祖母・キセが幼馴染であったことから「東海林太郎音楽館」が併設されていた[2]。大町店の閉店後、旧店舗は「榮太楼ふるさと文化館」となり、1階には「矢留彫金工房」が入居、2階の「東海林太郎音楽館・大鵬ギャラリー」は変わらずオープンしている。
このほか、新型コロナウイルス禍で低迷した菓子の売り上げを補おうと「豚まんの福楼」の展開を始めるが[5]、2024年(令和6年)11月10日以降、営業形態の見直しで、店舗・オンライン販売とも無期限の休業となった[6]。
店舗
[編集]- 榮太楼幸町店(本社・工場): 秋田市高陽幸町9-11
- 榮太楼南通店: 秋田市南通亀の町11-9
- 榮太楼いとく新国道店: 秋田市高陽幸町14-27 新国道モール内
- 榮太楼いとく自衛隊通店: 秋田市土崎港北二丁目17-60 いとく自衛隊通店内
- 榮太楼秋田駅トピコ店: 秋田市中通七丁目1-2 トピコ内
- 榮太楼仁井田店: 秋田市仁井田新田二丁目15-17
関連書籍
[編集]- 小国東三郎『榮太楼百年の歩み』菓子舗栄太楼 編、1987年5月。
脚注
[編集]- ^ “秋田の菓子店が「まんじゅう選挙」人気商品2種候補に”. 秋田経済新聞. (2017年11月22日) 2019年6月30日閲覧。
- ^ a b c d e f 藤沢志穂子 (2017年10月30日). “老舗あり 秋田市 菓子舗榮太楼 大鵬、東海林太郎との縁 オリジナル銘菓主軸に ”. 産経新聞. 産経ニュース 2019年6月30日閲覧。
- ^ 榮太郎の歴史 - 公式ページ
- ^ “榮太楼「創業の地」閉幕 人通り減少…大町店、今月いっぱい”. 秋田魁新報. (2019年6月28日) 2019年6月30日閲覧。
- ^ “菓子舗栄太楼、秋田の食材の豚まん専門店2号店”. 日本経済新聞. (2022年12月5日) 2024年12月19日閲覧。
- ^ “無期限休業のお知らせ”. 福桜. (2024年10月25日) 2024年12月19日閲覧。