新貝正勝
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新貝 正勝 しんがい まさかつ | |
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生年月日 | 1944年2月4日(80歳) |
出生地 | 大分県中津市 |
出身校 |
東京大学法学部 米国フレッチャー法律外交大学院修士課程 |
前職 | 防衛庁職員 |
所属政党 | 無所属 |
称号 | 旭日中綬章 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 2003年11月17日 - 2015年11月16日 |
新貝 正勝(しんがい まさかつ、1944年〈昭和19年〉2月4日[1] - )は、日本の政治家、官僚。前大分県中津市長(3期)、元防衛研究所長。
来歴
[編集]大分県中津市出身。中津市立大幡小学校、中津市立緑ケ丘中学校、大分県立中津北高等学校卒業。1966年(昭和41年)3月、東京大学法学部卒業。同年4月、住友銀行に入行。1970年(昭和45年)4月、防衛庁に入庁。1977年(昭和52年)5月、米国フレッチャー法律外交大学院修士課程修了[2]。
2000年(平成12年)6月30日、防衛研究所長に就任。2002年(平成14年)8月1日、同所長を退任し契約本部長に就任。2003年(平成15年)5月、防衛庁を退官。同年11月9日に行われた中津市長選挙に出馬し、現職の鈴木一郎を破り初当選。11月17日、市長に就任[3]。2007年(平成19年)、無投票で2期目の当選。2011年(平成23年)10月30日に行われた市長選挙で自由民主党の元県議の大友一夫を破り3期目の当選。2015年(平成27年)3月12日、市議会本会議で次期市長選挙に出馬しない意向を表明した[4]。2015年(平成27年)11月16日、任期満了に伴い市長を退任。3期12年間、中津市民病院の高度医療、ハイリスク出産への対応、地域医療機関と連携したがん診療拠点化、小児専門の休日・夜間急患センター開設などに努めた[5]。2016年(平成28年)11月、旭日中綬章を受章。
略歴
[編集]- 1970年4月 防衛庁入庁
- 防衛庁装備局通信課長
- 防衛庁人事局人事第三課長
- 防衛庁人事局人事第一課長
- 国際平和協力本部事務局次長
- 防衛施設庁総務部長
- 防衛研究所長
- 2002年(平成14年)8月1日 契約本部長
- 2003年(平成15年)5月 退官
脚注
[編集]- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、426頁。
- ^ 市長プロフィール | 大分県中津市
- ^ 任期満了一覧表 - 大分県ホームページ
- ^ “4選「迷った」 新貝中津市長、不出馬を表明”. 大分合同新聞. (2015年3月13日) 2015年10月19日閲覧。
- ^ 新貝正勝・大分県中津市長:時事ドットコム . 時事通信. (2010年1月18日) 2015年10月19日閲覧。
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