新畑民子
表示
新畑 民子(にいはた たみこ、1827年(文政10年) - 1908年(明治41年))は、幕末から明治にかけての女性。公卿・一条忠香の側室。明治天皇の皇后である昭憲皇太后の生母。父は一条家典医の新畑種成。院号は花容院。別称は花浦。
生涯
[編集]1827年(文政10年)、一条家に仕えた典医・新畑大膳種成の娘として生まれる[1]。
一条忠香の側室となり、1849年(嘉永2年)に後の明治天皇の皇后となる美子(昭憲皇太后)を出産する。1851年(嘉永4年)に勇君(号は秋月院)を出産するが早世。
1908年(明治41年)、死去。墓所は京都府京都市の上品蓮台寺。
脚注
[編集]- ^ “一条(一條)家(摂家)”. 世界帝王事典. 2019年2月11日閲覧。