新潟県立巻高等学校
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新潟県立巻高等学校 | |
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北緯37度45分44秒 東経138度52分53.3秒 / 北緯37.76222度 東経138.881472度座標: 北緯37度45分44秒 東経138度52分53.3秒 / 北緯37.76222度 東経138.881472度 | |
過去の名称 |
新潟県立新潟中学校巻分校 新潟県立巻中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 新潟県 |
併合学校 | 新潟県立巻女子高等学校 |
校訓 | 恭敬・廉直・勤労 |
設立年月日 | 1906年6月23日 |
創立記念日 | 5月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 単位制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | D115210000198 |
高校コード | 15112C |
所在地 | 〒953-0044 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
新潟県立巻高等学校(にいがたけんりつ まきこうとうがっこう)は、新潟県新潟市西蒲区巻乙に所在する県立高等学校。
概要
[編集]旧制巻中学校を前身とする公立校。
部活動の合宿・研修・会合等に使用できる多目的施設「白楊会館」を有しており、そこには県立高校では現在唯一となった食堂が併設されている。食堂は学内で「学食」と呼ばれ親しまれている(ちなみに、食堂が開かれた当初、食堂のことを「ロビン」[注釈 1]と呼んでいた)。現在の校地が「桔梗ヶ丘」と称されていることから校章(帽章、バッジ)は桔梗にちなんで制定されている。
沿革
[編集]経緯
[編集]当校は旧制中学校以来の歴史を持つ男子校である(旧)県立巻高等学校と、高等女学校以来の歴史を持つ女子校である県立巻女子高等学校の、ふたつの学校を前身とする。この二校が統合して男女共学の(新)県立巻高等学校となった。
年表
[編集]巻高等学校
[編集]- 1906年6月23日 - 新潟県立新潟中学校(現県立新潟高校)巻分校として設立認可。
- 1907年
- 3月6日 - 独立の新潟県立巻中学校として4月より開校することが認可される。
- 5月1日 - 授業開始。以後5月1日を創立記念日とする。
- 1913年
- 4月1日 - 県財政悪化のなか廃校の動きがあり、郡立に移管して西蒲原郡立巻中学校と改称。
- 3月25日 - 県立に復帰し再び新潟県立巻中学校となる。
- 1948年 - 学制改革により(旧)新潟県立巻高等学校となる。
- 1950年 - 新潟県立巻女子高等学校と統合し、男女共学の(新)新潟県立巻高等学校となる。旧巻中学を北校舎、旧巻女学校を南校舎とする。
- 1952年 - 旧巻女子高より引き継いだ定時制課程を廃止。
- 1970年12月22日 - 白楊会館竣工。
- 1971年 - 白楊会館食堂竣工。
- 1997年 - 被服科閉科。
- 2006年 - 創立100周年。正門竣工。
- 2011年 - 新校舎竣工。(旧校舎側にある白楊会館と2006年竣工の正門はそのまま残された。)
巻女子高等学校
[編集]- 1913年4月12日 - 西蒲原郡立巻実科高等女学校として創立。初代校長に奥田教佶(奥田教朝の祖父)。
- 1921年4月1日 - 西蒲原郡立巻高等女学校と改称。
- 1922年4月1日 - 県立移管により新潟県立巻高等女学校となる。
- 1948年4月1日 - 学制改革により新潟県立巻女子高等学校となる。
- 1950年3月31日 - 新潟県立巻高等学校との統合に伴い廃校。
校歌・応援歌
[編集]- 校歌の1番は男声斉唱、2番は女性二部合唱、3番は混声三部合唱となっている珍しい校歌。これは旧制巻中学校の校歌(斎藤佳三作曲)を1番、巻高等女学校の校歌(弘田龍太郎作曲)を2番とし、新たに3番を加えて編曲したためである。
- 応援歌:「桜花」、「白楊」、「高嶺の雪」、「若人」、「月日にかくる(迎歌)」
- この内、よく歌われる応援歌は「桜花」、「若人」である。
- 愛唱歌:創立100周年記念として製作。
部活動
[編集]交通
[編集]出身者
[編集]- 政治家
- 実業家
- 教育
- 文化・芸能
- 芸術
- スポーツ
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “新潟県立巻高等学校校歌”. 巻高同窓会. 2023年8月5日閲覧。
注釈
[編集]- ^ 当時、同じ巻町のラーメン屋「こまどり」が運営していたことに由来する。