茂木弘行
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彫刻家 茂木 弘行
(もぎ ひろゆき) | |
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W.ウェストン像を制作する作家本人 | |
生誕 | 新潟県 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 東京藝術大学大学院 |
著名な実績 | 彫刻(専業) |
代表作 | 雪椿の乙女, ゆめ, かげ, はな, おはなし(乙女と鳩) |
公式サイト |
mogi |
影響を受けた 芸術家 | 舟越保武, 山本豊市 |
茂木 弘行(もぎ ひろゆき、1945年 - )は、日本の彫刻家である。東京藝術大学大学院修了。新樹会展招待出品。無所属。
来歴
[編集]新潟県出身。新潟県立巻高等学校卒業。東京藝術大学美術学部彫刻科(山本豊市教授に師事)を経て、東京藝術大学大学院美術研究科彫刻専攻を修了。舟越保武教室。1966年より新樹会展に出品(日本橋三越本店。以降毎回)。1969年にサロン・ド・プランタン賞受賞。1971年より同大学助手。1973年に同大学を退官し、彫刻制作専業の道へと進む。1977年にヨーロッパを巡遊し、イタリア・ローマに滞在する。制作に専念できる環境を求めて、1983年にアトリエを東京・世田谷から郷里の新潟に移す[1]。
いずれの公募展にも出品せず、一貫して個展・グループ展のみを発表の場とするとともに、国内外からモニュメントなどの制作依頼を数多く受けるなど、昭和~平成~令和にわたり、具象彫刻界の第一線で活動している[2]。
作風
[編集]凛とした佇まいの女性を中心としたブロンズ像は、都市空間の中で共生している。その作品群の多さは、多岐にわたる依頼主による厳選した評価として検証できる[3]。
一点一点のフォルムを納得ゆくまで追求し続けられる厳しい眼と、人一倍深い情念から生まれる作品は、清楚で、優しく、若さと躍動感に満ち溢れている[2]。
主な彫刻作品の設置場所
[編集]作品は、海外の国際機関をはじめ、国内各地のパブリックスペース(駅コンコース、キャンパス、公園、美術館、行政庁舎など)に設置されている[1]。
海外
[編集]WHO(世界保健機関)などから制作依頼を受けて、1979年にスイス・ジュネーヴのWHO本部、ニューヨークのドレイパー世界人口基金ロビーに作品が設置される[1]。
国内
[編集]- 鉄道駅
- 東急田園都市線・青葉台駅コンコース[北口](横浜市)
- JR東日本上越新幹線・新潟駅新幹線コンコース
- その他のパブリックスペース
- 横手市学校橋・橋上公園(秋田)
- 銀座花椿通り(東京・銀座7-8丁目)
- 有楽町マリオン(旧TOHOシネマズ日劇)(東京)
- 立川市役所(東京)
- 相鉄ライフ南まきが原(神奈川)
- 新潟市役所本館
- 新潟市西川ふれあい公園 - 水道記念公園
- 親不知コミュニティロード(新潟・糸魚川市)
- 袋井市役所(静岡)
- 栄NOVA(名古屋)
- 舞鶴市松島公園(京都)
- 舞鶴市明倫緑地(京都)
- 姫路市大手前通り(兵庫)
- 呉市美術館通り(広島)
- 広島市幟町中学校前「文化の道」
- 北九州市立美術館「美術の森公園」
- 佐伯市野岡緑道(大分)
- 住居施設
- 三菱地所「パークハウス多摩川」(東京)
- 相鉄・三井不動産「ステージ星川」(横浜市)
- 相鉄「箱根エグゼクティブコート」(神奈川・強羅)
- 東急ドエル鎌倉ビレジ
- 文教施設
- 青森公立大学
- 東北文化学園大学(仙台市)
- 城西大学(埼玉・坂戸市)
- 日本社会事業大学(東京・清瀬市)
- 新潟県立新潟中央高等学校
- 新潟県立巻高等学校
- 新潟市立西川中学校
- 新潟市西川図書館
- 長岡赤十字看護専門学校(新潟)
- 愛知芸術文化センター「愛知県図書館」(名古屋)
- 社屋ほか
- ケアハウス「ボナール十和田」(青森)
- 株式会社武蔵野(埼玉・朝霞市)
- テルモ株式会社湘南センター(神奈川)
- アクシアル リテイリング株式会社 - 原信ナルスHD元社長、旧全国スーパーマーケット協会元理事長 原信一氏胸像(新潟・長岡市)
- 上村工業株式会社中央研究所(大阪・枚方市)
- 株式会社コーダ(大阪)
- 日本製鉄株式会社大阪支社(旧住友金属工業株式会社本社)- 第8代関西経済連合会会長 日向方齊氏胸像
- 株式会社タコー(岐阜)
- 淡路カントリー倶楽部(兵庫)
- 北六甲カントリー倶楽部(兵庫)
褒章・メダル
[編集]- 一般財団法人日本科学技術連盟「日本品質管理賞(現デミング賞大賞)」
- NHK山形放送局「NHK東北ふるさと賞」
- 大成建設株式会社
- 日野自動車株式会社
- マツダ株式会社
- 三菱自動車工業株式会社
主な作品
[編集]- 1982年「雪椿の乙女」JR東日本上越新幹線・新潟駅新幹線コンコースほか
- 1987年 日本赤十字社新潟県支部創立100周年記念モニュメント「玲瓏」長岡赤十字看護専門学校(新潟)
- 1984年「雪椿の乙女Ⅱ」広島市幟町中学校前「文化の道」
- 1988年 日本近代登山の父・イギリス人宣教師「ウォルター・ウエストン像」[4]親不知コミュニティロード(新潟・糸魚川市)
- 1989年「雪椿の乙女'82」北九州市立美術館「美術の森公園」
- 1991年「ゆめ」[5]呉市美術館通り(広島)、東急田園都市線・青葉台駅コンコース[北口](横浜市)
- 1992年「かげ」姫路市大手前通り(兵庫)
- 1993年「はな」[6]銀座花椿通り(東京・銀座7-8丁目)
- 1995年 終戦50年記念平和祈念像「おはなし(乙女と鳩)」[7]立川市役所(東京)
- 2000年「水辺」新潟市西川ふれあい公園 - 水道記念公園
- 2005年「空の音色」新潟市西川図書館
主な出版物
[編集]- 「茂木弘行」『国際彫刻展 : ロダンにはじまる創造の軌跡 : 近代から現代まで』、岩手日報社、1980年。
- 「茂木弘行」『国際巨匠彫刻展 : 小倉玉屋開店45周年記念』、小倉玉屋、1983年。
- 「茂木弘行」『11-show '85 : 遊象展』、ギャラリーせいほう、1985年。
- 「茂木弘行彫刻展」、西武百貨店、1986年。
- 「茂木弘行彫刻展 HIROYUKI-MOGI」、松坂屋本店美術部、1988年。
- 「今月のこの作家・この作品(彫刻)/茂木弘行」『月刊美術』、実業之日本社、1986年、p65~67。
- 「現代彫刻4人展 : 具象の熱きかたち : 島田勝吾、茂木弘行、杉山惣二、笹戸千津子」、西武アート・フォーラム、1991年。
- 「茂木弘行」『今日の素描展 : デッサン・フォーラム』、有楽町西武、1992年。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c “彫刻家 茂木弘行 Web Gallely”. 彫刻家 茂木弘行 公式ウェブサイト. 2024年5月1日閲覧。
- ^ a b 『茂木弘行彫刻展 HIROYUKI-MOGI』松坂屋本店美術部、1988年。
- ^ “活躍するOB 昭和38年(1963年)卒 彫刻家 茂木弘行さん”. 巻タリアンニュース. 2013年3月16日閲覧。
- ^ “第2章 登山普及の双璧”. 「本の万華鏡」第18回「登山事始め―近代日本の山と人」. 国立国会図書館デジタルコレクション. 2024年5月15日閲覧。
- ^ “ゆめ”. 文化遺産オンライン. 文化庁. 2024年5月15日閲覧。
- ^ “銀座花椿通りとは”. 銀座花椿通り公式ウェブ. 2024年5月15日閲覧。
- ^ “作品一覧 GALLERY LIST”. - まち全体が美術館 - Tachikawa Art Collection. 2024年5月15日閲覧。
外部リンク
[編集]- 彫刻家 茂木弘行 公式ウェブサイト | 彫刻家 茂木弘行 Web Gallery
- 文化庁 | ゆめ 文化遺産オンライン (https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/597179)