新正卓
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新正 卓(あらまさ たく、1936年8月15日 - )日本の写真家。
略年譜
[編集]- 1936年(昭和11年) - 8月15日、東京府東京市豊島区で出生
- 1940年(昭和15年) - 中国大陸、満洲国へ渡る
- 1943年(昭和18年) - 満洲国三江省樺川県桂木斯市旭国民日本人小学校入学
- 1946年(昭和21年)1月 - 綏化市難民収容所(旧日本空軍格納庫)で、乳母「ユキ」と生き別れる
- 1947年(昭和22年)9月 - 山形県飽海郡字新青渡村祖父生家に「ユキ」をのぞいた家族5名が生還、引き揚げる
- 1948年(昭和23年)4月 - 観音寺小学校転入
- 1949年(昭和24年)4月 - 新制八幡中学校入学、1952年3月同校卒業
- 1952年(昭和27年)4月 - 山形県立酒田東高等学校入学、1955年3月同校卒業
- 1957年(昭和32年)4月 - 武蔵野美術学校本科(現・武蔵野美術大学)デザイン科入学
- 1961年(昭和36年)3月 - 武蔵野美術学校本科デザイン科商業デザイン専攻卒業
- 1962年(昭和37年)4月 - 株式会社アルファG港区赤坂に設立、代表取締役就任アートディレクター兼務
- 1969年(昭和44年)12月 - 株式会社アルファG業務を休止
- 1970年(昭和45年)4月 - 新正卓事務所を港区西麻布に開設、フリーランス写真家として活動開始
- 1973年(昭和48年) - 文化出版局特派員としてパリ市勤務、ファッション誌「ハイファッション」等数誌へ配信
- 1974年(昭和49年)7月、8月 - パリ市夏期休暇を利用しミクロネシア旧パラオ諸島へ紀行文の執筆取材
- 1976年(昭和51年) - 単行紀行書「逆光珊瑚礁・ヤシの木八本の島」文化出版局刊[1] ・ 3月 パリ市より帰国
- 1977年(昭和52年) - 個展「パトリシア」ニコンサロン、東京・大阪
- 写真集「パトリシア」北斗企画[3]
- 1月旧満州綏化で生き別れた乳母「ユキ」より生存の知らせが届く
- 1978年(昭和53年)3月 - 中国吉林省より生き別れた乳母「ユキ」32年ぶりに生還し一時帰国
- 写真集「アメリカン・パロディ」北斗企画刊[4]
- 写真展「アメリカン・パロディ」東京デザイナーズ・スペース
- 12月 「ユキ」孫の待つ中国吉林省へ帰国
- 1979年(昭和54年)
- 1980年(昭和55年)1月 - 中国残留日本人孤児存在多数の現実を知らさる、「ユキ」の通訳で64名を撮影する
- 写真集「TO MY ANGELS」全国出版刊[6]
- 1985年(昭和60年)
- 1986年(昭和61年)
- 1987年(昭和62年)
- 1988年(昭和63年)
- 写真展「遥かなる祖国・南米移民一世の肖像」リバティ大阪・人権資料館主催
- 土門拳賞受賞記念講演会・ニッコールクラブ主催、於:新丸ビル
- 写真展「遥かなる祖国・南米移民一世の肖像」ブラジル・サンパウロ美術館、共催毎日新聞社
- 1989年(平成元年)11月 - 「私は誰ですか」刊行委員会発足(委員長・遠藤満雄 毎日新聞社編集委員)
- 1990年(平成2年)
- 1991年(平成3年) - 写真展「私は誰ですか」親探し行動展、東京芸術劇場・箕面市・枚方市 (主催・私は誰ですか刊行委員会、各都市教育委員会共催)
- 1992年(平成4年) - 写真展「私は誰ですか」親探し行動展、福岡市・広島市(私は誰ですか刊行委員会・各市教育委員会主催)
- 1993年(平成5年)
- 1994年(平成6年)
- 写真展「酋長の系譜」有楽町アートフォーラム主催・高岡市・北九州市
- 写真展「Tha Chief 」武蔵野美術大学美術資料図書館
- 企画展「東川賞受賞作家作品展」東川町文化ギャラリー
- 1995年(平成7年)
- 1996年(平成8年)
- 企画展「東川ネットワーク'96札幌展Human Interest人間への旅」〜参加出品〜
- 企画展「96年度・日本写真協会賞受賞記念展」〜参加出品〜東京都写真美術館
- 企画展「昭和11年生まれの写真家たち」〜参加出品〜富士フォトサロン・東京
- 1997年(平成9年)
- 企画展「昭和11年生まれの写真家たち」〜参加出品〜富士フォトサロン・大阪
- 写真展「新正卓・シベリア抑留写真展」文京・シビックセンター
- NHK総合TV 特番 ・ドキュメント日本「京女三人、桜の下で〜記念写真に綴られた20年」[11]
- 1999年(平成11年)
- 第30次訪日(最終回)・中国残留日本人孤児撮影取材(代々木オリンピック記念青少年センター)
- 企画展「東川賞創設20周年記念受賞者展」〜参加出品〜札幌市写真ライブラリー
- 2000年(平成12年)
- 企画展「History of Modern Photos 現代写真の系譜」〜参加出品〜東京・ニコンプラザ
- 写真集「約束の大地/アメリカ」みすゞ書房刊[12]
- 写真展「約束の大地/アメリカ」ミツムラアートプラザ 光村印刷創立100周年記念展
- 企画展「11+1」展 参加出品 ミツムラアートプラザ(武蔵野美術大学映像学科創立10周年記念展)
- 2001年(平成13年)
- 写真展「新正卓写真展・日系アメリカ人の肖像」日本ポラロイド本社ギャラリー
- 2003年(平成15年) - 企画展「Only skin deep - Cahngeing visions of the american self}出品NY.IPC美術館
- 2004年(平成16年) - 武蔵野美術大学造形学部映像学科主任教授就任
- 2005年(平成17年)
- 写真展「 ARAMASA SAKURA 」Stephen Wirtz gallery, san Francisco企画展・祝辞 サンドラ・フィリップ SF-MOMA 主任キューレーター
- DVD「 ARAMASA SAKURA 」Stephen Wirtz gallery, san Francisco 刊[13]・10部限定
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)
- 「ARAMASA Taku Photography 黙示」回顧展の全作品を武蔵野美術大学に寄贈[16]
- 3月、武蔵野美術大学定年退職
- 写真理論誌「Photon Work」4号発行
- e-book 写真集「ARAMASA Taku Photography・黙示」ZIPOT電子ブック・李相益
- e-book「新正 卓(1960~2007)資料集」ZIPOT電子ブック・李相益
- 2008(平成20年)
- 新正卓 プラチナプリント展 新正卓プラチナプリント展
- 「約束の大地/アメリカ」より出展
- Gallery OUT of PLACE - NARA
- 写真展「ARAMASA SAKURA」銀座ニコンサロン・大阪ニコンサロン
- 2009(平成21年)
- 新正卓個展新正卓個展
- 「frame & vision」 -blessing in forest- 東京画廊+BTAP
- The Photograph of Nonexistent 非実在のフォト(光)・グラフ(描)
- 企画展参加 東京画廊+BTAP
- 2010(平成22年)
- 2011(平成23年)
- ARAMASA Taku photographs 2011「Na2 プラチナ・パラジウムプリント展」
- 「ARAMASA SAKURA展」・私家A2版写真集内覧会、Gallery Out of Place Nara
- 「ARAMASA SAKURA」in black boxを新技法制作発表(digital-positivesに金箔裏打) 「OROgraphy」と命名する
- 2012(平成24年1月)
- OROgraphy(digital-positives)「ARAMASA SAKURA」公式ホームページ発表
- 同年3月「ARAMASA Taku OROgraphy制作現場」 YouTubeに公式発表
- HORIZON-思考的水平空間 企画展・境界/植生/可視の変容、OROgraphy One Men Show
- 東京パブリッシング(横田茂ギャラリー)
- 2013(平成25年)
- OROgraphy制作新プロジェクト撮影開始(MAGAIBUTU)
- 同年8月写真表現「colorOROgraphy」研究(磨崖仏制作実験)開始
- 2014(平成26年)
- 「HORIZON」展 / One Men Show -Annely Juda Fine Art- LONDON
- 「ARAMASA Taku 2014」 出版© -Annely Juda Fine Art- LONDON刊
- 「colorOROgraphy」『かなた~こなた』制作プロジェクト完成発表(公式ホームページ)
受賞歴
[編集]- 第28回日本写真協会賞「新人賞」受賞『アメリカン・パロディ』写真展・写真集
- 第5回「土門拳賞」受賞『遥かなる祖国』写真展・写真集
- 第10回「写真の町」東川賞「国内作家賞」受賞『酋長の系譜』写真展・写真集
- 第46回日本写真協会賞「年度賞」受賞『沈黙の大地/シベリア』写真展・写真集
永久保存
[編集]- 土門拳記念館
- 大阪人権歴史資料館
- 東川町文化ギャラリー
- 東京都写真美術館
- ブラジル、サンパウロ日系移民資料館
- ブラジル、サンパウロ美術館
- Senter For Crrreative Photography (AR)
- Stephen Wirtz Gallery (SF)
- サンフランシスコ近代美術館
- International Center of photography (NY)
- 武蔵野美術大学美術資料図書館「新正卓 写真コレクション・1960~2007」2006年12月寄贈
脚注
[編集]- ^ 1974年(昭和49年3月1日)第一刷発行、発行者・大沼淳、発行所・文化出版局、装丁・江島任、イラスト・篠田昌三
- ^ 「ERIKA・ARAMASSA」1976年6月1日初版、装丁/ 長友啓典 / 大成美術印刷 / (株)北欧社刊 / 限定2500部
- ^ 「PATRICIA」1977年5月1日初版、装丁・小島良平 / コスチュウム・河村都 / 日本写真印刷 /限定3000部 / 北斗企画刊
- ^ 「AMERICAN PARODY・ANITA RUSSELL」1977年12月1日初版 /タイトル・中山泰次郎 / 装丁・新正卓 / 日本写真印刷 / 限定3000部
- ^ 「CARNAVAL」1979年7月1日初版 / テキスト・山岸章二 / 装丁・太田徹也 / 日本写真印刷 / キャノン販売株式会社刊
- ^ 「TO MY ANGELS 」1980年7月1日初版 / 故 山岸章二氏、女優エウキ・マラベリアに捧ぐ / 文・西村佳也 / 装幀・遠藤享 /日本写真印刷 / 全国加除法令・全国出版社刊
- ^ 「遥かなる祖国」南米移民一世の肖像、1985年10月25日d)初版第一刷発行 / 企画・海老名俊則 / 構成・山岸享子 / デザイン・仁田和男 / 英訳・ローラシャーノフ / 大日本印刷株式会社 / 朝日新聞社刊 / 翌’86年第5回土門拳賞受賞(1986,03,14毎日新聞社告)
- ^ 1990年7月30日、中国残留日本人孤児肖像写真集「私は誰ですか」(全国からの善意の浄財で)刊行委員会初版第一刷発行 / 総ページ数1248 / 写真撮影・新正卓 / 印刷製本・日本写真印刷 /「私は誰ですか」全国5000余の都道府県市町村長宛親探し資料として無料配布
- ^ 「酋長の系譜」、1993年12月9日初版第一刷発行 / 企画・新正卓 / 序文・国立アメリカ・インディアン博物館副館長リチャード・ヒル / 構成・山岸享子 / デザイン・富樫成美 / 凸版印刷株式会社 / 講談社刊 、国際版(Portraits of Native American)USAロバートラインハルト社出版契約 / 翌’94年だい10回東川国際写真賞「国内作家賞」受賞
- ^ 「沈黙の大地/シベリア」 〜敗戦50 年記念出版〜 1995年11月30日初版第一刷発行 / 企画・新正卓 / 構成・山岸享子 / 序文・辺見じゅん / 光村印刷株式会社 / PD・柳崎正雄 / 筑摩書房刊 /
- ^ 写真家新正卓は京都ロケ時、定宿の娘等の成長記録を定点観測手法で永年(35年)記録している。20年(回)目の記録をNHK総合特番が戦後女性史の一断面的視点として「ドキュメント日本」(1997年)にした
- ^ 「約束の大地/アメリカ」AMERICA / PROMISED LAND 2000年9月25日 初版第一刷発行 / 企画・新正卓 / 文・カレン・テイ・ヤマシタ / 構成・山岸享子/ デザイン・矢萩喜從郎 / PD・柳崎正雄 / 光村印刷株式会社 / みすず書房刊
- ^ ARAMASA Taku Potographs DVD「ARAMASA SAKURA」2005年4月20日初版第一刷 / AD&Photographer・ARAMASA Taku「‘SAKURA」20 limited edition 2005 / Motion CG making ・Inoue Yoshiro / Designer・Takenaka Tsukasa / Producer・Stephen Wirtz gallery, san Francisco
- ^ 写真理論誌「Photon Work」1996年4月15日第一号初版第一刷発行、同年第二号8月12日初版第一刷発行、同年第三号初版第一刷発行、'97年4月16日第四号初版第一刷発行 / 編集委員・新正卓(写真家)・小林のりお(写真家)・大嶋浩(美術批評) / 装幀・武馬眞幸 / デザイン・川又 淳 / 武蔵野美術大学映像学科 Photon Work 編集委員会刊
- ^ 「ARAMASA Tkau Photography 黙示」1996年12月1日初版第一刷発行 / 企画構成・新正卓 / 作家論・大日方欣一、大嶋浩 / ブックデザイン・川又 淳 / 印刷・精興社 / 武蔵野美術大学出版局刊
- ^ 「新正卓 写真コレクション・1960~2007」
- ^ 「ドキュメントにっぽん / 京女三人 桜の下で」NHK総合 アーカイブス / 2010年4月4日 13:35~14:45
出典
[編集]- INTERNATIONAL YEARBOOK P.274~275 -「写真」 『BRITANNICA』百科事典、1995年度版
- 戦後50年企画 ―「沈黙の大地」ラーゲリ・シベリア 『GALLERY ONE』、1995年8月11日~9月24日
- “GRACEFUL RED”ネイティブアメリカンの肖像「生と死のアイデンティティー」 構成・清野栄一 『GQ JAPAN』、1994年3月号、特集・No,13
- 「Only Skin Deep National Survey」展招待プログラム―Cynthia Fredette 『International Center of Photography』、2003年7月7日
- Imigrantes japoneses, pelas lentes de Aramasa,no Masp. 『JOENAL DA TAEDE-A-3 DVIRTA’SE・Photografia』、1988年8月7日
- ARAMASA SAKURA 写真展評 Tidy little pieces of war,objectively examined ― Kenneth Baker
『San Francisco Chronicle (Saturday) Stephen Wirtz Gallery』、2005年5月21日 - 精緻に写しとられた南米移民たちの素顔―柳本尚視 『アサヒカメラ』、1986年3月号、新刊書評
- 「ストレート・フォトの威力・酋長の系譜」―平木収 『アサヒカメラ』、1994年4月号、写真展評
- アサヒカメラ特集「沈黙の大地 / シベリア」風化する風景と<戦争の風化> ― 安彦良和評 『アサヒカメラ』、1996年5月号
- 「静かな悲しみと嘆き 」評―鎌田 慧 『アサヒカメラ』、2000年11月号、新刊書評
- 「SUN DAY ストーリー」―1000人の望郷/写真集に 『産經新聞社』、1989年11月19日付、社会
- ギャラリー―新正卓写真集「酋長の系譜」 『産經新聞社』、1994年2月14日付、BOOK REVIEW
- 時代の伴奏者たち・連載―「無名の肖像撮り続けて」 文・須田治 『信濃毎日新聞社』、1992年4月2日付夕刊、文化
- 時代の伴奏者たち・連載―「人生を変えた”ゆき”との再会」 文・須田治 『信濃毎日新聞社』、1992年4月21日付夕刊、文化
- 時代の伴奏者たち・連載―「かけがえのない滅び行く民」 文・須田治 『信濃毎日新聞社』、1992年4月24日付夕刊、文化
- 新潮、窓「一千九十二人の肖像」―佐江衆一 『新潮社』、1990年11月号
- 新正卓さんの移民写真展 『中国新聞社』、1986年11月22日、天風録(コラム)
- 「沈黙の大地 / シベリア」 『中日新聞社』、1995年1月28日、読書
- ひと 南米五カ国の日系移住者を撮影し続けて― 菊池育三 『朝日新聞社』、1986年3月24日
- ひと 千余人の未再会中国残留孤児の肖像写真集を出す新正卓―松井覚進 『朝日新聞社』、1990年5月23日
- 「沈黙の大地」展・新宿で開催中 『東京新聞社』、1995年8月25日、美術
- 「今から四十五年前」 『読売新聞社』、1990年8月8日、編集手帳(コラム)
- 新刊EXPRESS―酋長の系譜・新正卓著 『読売新聞社』、1994年2月7日、読書
- 日本カメラ特集-SPECIAL TALK-新正卓が語る「約束の大地/アメリカ」を撮るまで・特別インタビュー / 聞き手・橋口譲二 『日本カメラ』、2000年10月特大号
- 遥かなる祖国―今撮る祖国へのまなざし―新正卓 『日本経済新聞社』、1986年1月9日、文化
- 「ネガに焼き付ける日本人論」―文・小島英煕 / 写真・井上昭義 『日本経済新聞社』、1991年9月2日、3版特集(地球人)
- -SUNDAY NIKKEI- 酋長の系譜・新正卓著 『日本経済新聞社』、1993年12月19日、文化
- 「沈黙の凍土を今に刻む」新正卓 『日本経済新聞社』、1995年12月26日、文化
- 「第10回東川賞決まる」報道特集―新正卓氏に「国内作家賞」― 『北海タイムス』、1994年3月31日、記者発表
- 新正卓氏に―第五回土門拳賞 『毎日新聞社』、1986年3月14日、一面社告
- 第五回・土門拳賞受賞記念―日本写真家協会・三木淳 『毎日新聞社』、1986年3月14日、特集ページ
- 「中国残留孤児」 『毎日新聞社』1986年3月16日、余録(コラム)
- 「祭り」のあと、先------パァパ!マァマ!私を探してください(土門拳賞の目) 『毎日新聞社』、1987年6月20日、夕刊 総合・特集
- 「中国残留孤児の名鑑づくり」 『毎日新聞社』、1987年7月11日、総合(記者の目)
- ―アメリカ・インディアン全種族を撮る― 文・遠藤満雄 写真・中西浩 『毎日新聞社』、1989年3月19日、日曜日版特集「ぶらんち」
- 「中国残留孤児と呼ばれる人々」 『毎日新聞社』、1989年11月18日、余録(コラム)
- サタデーアィ・遠藤満雄編集委員 『毎日新聞社』、1990年3月10日、夕刊 特集
- 「偉丈夫、女丈夫という言葉」 『毎日新聞社』、1993年12月21日、余録(コラム)
- 「酋長の系譜」によせて―平木収 『毎日新聞社』、1994年2月17日、文化・批評と表現
- 「森林を切り開いて」 『毎日新聞社』、1995年8月15日、余禄(コラム)
- 「人間は(あちら側)か(こちら側)か」 『毎日新聞社』、1995年12月8日、余禄(コラム)
- 「ドン・キホーテの写真」近藤耕人著・まなざしと記憶の戯れ/序論 ―未来とは他者である 『未来社』、2000年
- 「サンカーラ」田口ランディ著・この世の断片をたぐり寄せて・表紙 『新潮社』、2012年
- NHKアーカイブス /総合「ドキュメントにっぽん / 京女三人桜のしたで」、新正卓出演、2010年4月4日 13:35~14:45放送