コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

新村勝雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
新村 勝雄
しんむら かつお
生年月日 1918年5月1日
出生地 日本の旗 日本 千葉県東葛飾郡福田村
(現・野田市
没年月日 (2003-06-24) 2003年6月24日(85歳没)
出身校 東葛飾中学校卒業
(現・千葉県立東葛飾高等学校
東京高等師範学校中退
前職 産業組合職員
所属政党 日本社会党
称号 勲二等旭日重光章
正四位

選挙区 千葉県第4区 (中選挙区)
当選回数 6回
在任期間 1976年 - 1993年

当選回数 4回
在任期間 1962年 - 1976年

野田市旗 野田市議会議員
当選回数 2回
在任期間 1957年 - 1962年

福田村村長
当選回数 3回
在任期間 1947年 - 1957年
テンプレートを表示

新村 勝雄(しんむら かつお、1918年大正7年)5月1日[1]2003年平成15年)6月24日[1])は、日本政治家衆議院議員日本社会党)、野田市長

来歴・人物

[編集]

千葉県東葛飾郡福田村(現・野田市)に、地主の長男として生まれる。東葛飾中学(現・千葉県立東葛飾高等学校)を卒業後、地元の産業組合職員、兵役を経て、教師を目指し東京高等師範学校に入学する。終戦後東京高師を中退して地元に戻り、「民主同志会」を立ち上げる。1946年社会党に入党。翌1947年福田村の村長に当選、3期務める。

その後野田市議(1957年より2期)を経て、1962年野田市長に当選する。市議会で多数派を占める保守系会派の抵抗に遭い、1970年まで8年間助役が置けなかった。議会との悪戦苦闘ぶりは、1973年サンケイ新聞の連載企画「革新自治体」でも取り上げられた。しかし市民の人気は高く、根強い保守地盤の中で4回連続当選を果たした。

1976年第34回衆議院議員総選挙旧千葉4区から立候補し当選。以後連続当選6回。1989年、衆議院物価問題等に関する特別委員長を務める。1993年政界を引退。同年勲二等旭日重光章受章[2]

政界引退後は、福田村事件の真相解明運動に携わる。新村自身、幼少の頃被害者と思われる行商人一行を目撃した記憶があるという。2000年に現地を訪問した香川県側の調査団に対し、事件について謝罪している[3]。地元世論の大半が事件をタブー視する状況を心残りとしていた。

2003年6月24日、消化管出血のため死去。享年85。叙・正四位

著書

[編集]

関連文献

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、128頁。
  2. ^ 「93年秋の叙勲 勲三等以上および在外邦人、帰化邦人、外国人の受章者」『読売新聞』1993年11月3日朝刊
  3. ^ 福田村事件”. 四国新聞社. 2014年8月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年3月18日閲覧。
公職
先代
戸辺織太郎
野田市旗 千葉県野田市長
1962年 - 1976年
次代
篠塚義正