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新小山市民病院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
新小山市民病院[1]
情報
英語名称 Shin-Oyama City Hospital
前身 小山町国民健康保険直営診療所、下都賀郡市医師会病院
標榜診療科 内科
消化器内科
循環器内科
脳神経内科
脳神経外科
外科
婦人科
整形外科
眼科
小児科
皮膚科
泌尿器科
耳鼻咽喉科
麻酔科
リハビリテーション科
放射線科
心臓血管外科
呼吸器内科
糖尿病代謝内科
腎臓内科
救急科
アレルギーリウマチ科
形成外科
病理診断科
血液内科
許可病床数 300[2]
一般病床:300床
開設者 地方独立行政法人新小山市民病院  理事長 島田和幸
管理者 島田和幸(病院長[3]
開設年月日 2016年(平成28年)1月4日[2]
所在地
323-0827
二次医療圏 県南
法人番号 6060005007830 ウィキデータを編集
PJ 医療機関
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移転前の病院

地方独立行政法人新小山市民病院(ちほうどくりつぎょうせいほうじんしんおやましみんびょういん)は、栃木県小山市大字神鳥谷にある地方独立行政法人の病院である。2次救急告示医療機関である[2]

沿革

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昭和21年、小山町国民健康保険直営診療所として開設され(のち小山町国民健康保険病院と改称)、昭和43年に小山市立となる。昭和55年に下都賀郡市医師会病院と合併した際に小山市民病院となり、平成25年には地方独立行政法人に経営形態を変更し、新小山市民病院と改称した。2016年(平成28年)1月4日に小山市若木町から小山市大字神鳥谷(ひととのや)に移転した。

年表

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  • 1946年昭和21年):小山町国民健康保険直営診療所として開設(24床)
  • 1950年(昭和25年):小山町国民健康保険病院に改称(一般24床、結核14床)
  • 1968年(昭和43年):小山市立病院に改称(一般51床、結核24床、伝染24床)
  • 1980年(昭和55年):下都賀郡市医師会病院と合併、小山市民病院と改称
    • 本院(一般98床、結核12床、伝染24床)
    • 分院(一般222床)
  • 1983年(昭和58年):分院休止(一般212床、結核8床)
  • 1985年(昭和60年):総合病院となる(一般244床、結核8床)
  • 1988年(昭和63年):分院廃止
  • 1990年平成2年):南4階病棟休床(平成4年11月再開)
  • 1995年(平成7年):城南高校病院実習棟の建築
  • 1996年(平成8年):結核病床の一般病床への転床(一般330床、伝染10床、人間ドック12床)
  • 1997年(平成9年):院外処方箋発行開始
  • 1999年(平成11年):伝染病棟を感染症病棟へ転床(一般330床、感染症8床、人間ドック12床)
  • 2004年(平成16年):感染症棟廃止、健康健診センターを設置 (一般330床、人間ドック12床)
  • 2013年(平成25年):小山市民病院は地方独立行政法人に経営形態を変更し、新小山市民病院と改称。
  • 2016年(平成28年)1月4日:小山市大字神鳥谷に移転、新病院開院[2]
  • 2022年(令和4年)4月1日:栃木県より地域災害拠点病院に指定[4]

保険指定施設

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  • 保険医療機関(健康保険法国民健康保険法
  • 救急告示病院
  • 労災保険指定医療機関
  • 更生医療指定機関
  • 育成医療指定医療機関
  • 身体障害者福祉法指定医の配置されている医療機関
  • 生活保護法指定医療機関
  • 母体保護法指定医の配置されている医療機関
  • 臨床研修指定病院
  • 栃木県がん治療中核病院
  • 地域医療支援病院

診療科

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アクセス

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脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ "機能情報詳細表示"(2012年1月18日時点のアーカイブ)、とちぎ医療情報ネット、2009年9月25日閲覧
  2. ^ a b c d 平井隆昭 (2016年1月5日). “脳疾患の患者に24時間救急対応 新小山市民病院が開院”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 栃木全県版 
  3. ^ 院長挨拶”. 地方独立行政法人 新小山市民病院. 2021年8月22日閲覧。
  4. ^ 新小山市民病院だよりNo.37 新小山市民病院 2022年12月17日閲覧

外部リンク

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