新妻イト
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新妻イト にいづま いと | |
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生年月日 | 1890年8月5日 |
出生地 | 日本 神奈川県横浜市 |
没年月日 | 1963年7月15日(72歳没) |
出身校 | 横浜英語商業学校卒業 |
前職 | 日用品活用協会事務 |
所属政党 | 日本社会党 |
配偶者 | 新妻莞 |
選挙区 | 北海道第1選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1946年4月 - 1947年3月31日 |
新妻 イト(にいづま イト、1890年8月5日[1] – 1963年7月15日[2])は日本の女性政治家、日本社会党衆議院議員(1期)、労働省少年婦人課長。旧姓、鈴木[1]。名前は新妻伊都子とも[3]。
来歴
[編集]神奈川県横浜市出身[1]。1911年横浜英語商業学校卒[2][注 1]。卒業後はアメリカに渡り、サンフランシスコのビジネスカレッジで学ぶ[2]。現地でジャーナリストの新妻莞と結婚し[1]、帰国後、鈴木茂三郎らの政治研究会に入り[1]、社会運動に加わる。婦選獲得同盟兵庫県支部で活動した時期もあった[3]。 1926年(大正15年)6月、廃娼運動推進の国民委員会が発足すると同会の委員に指名される[4]。第二次世界大戦中は北海道に疎開し、札幌で日用品活用協会の事務を行った[1]。
戦後の1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙に北海道第1区(大選挙区制)から日本社会党公認で立候補して第3位で初当選[3][5]、日本初の女性代議士の1人となる。翌年の第23回衆議院議員総選挙では北海道1区から立候補したが落選した[注 2][3][6]。落選後は初代労働省少年婦人課長に就任[3]、ほか婦人緑十字社理事長なども務めた[2]。1963年舌癌で死去した[3][注 3]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『新しき明日の来るを信ず-はじめての女性代議士たち』136頁では「香蘭女学校(現・横浜雙葉中学校・高等学校)卒業」と記載。
- ^ 後に1950年(昭和25年)の第2回参議院議員通常選挙では全国区から立候補したが、落選
- ^ 『新しき明日の来るを信ず-はじめての女性代議士たち』137頁では「八回目の敗戦記念日(8月15日)に亡くなった。」と記載。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年11月。
- 岩尾光代著『新しき明日の来るを信ず-はじめての女性代議士たち』(日本放送出版協会、1999年)ISBN 4140804394
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 朝日新聞選挙本部編『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。